の場合は変な動機でした。1993年の1月にYAMAHAのセローというバイクを購入し、そのバイクで実家に帰る道中(約50km)の金町と松戸をつなぐ橋の上あたりを走行中に、ふと「4ストは楽だな〜。これなら日本一周しても疲れないじゃん。」と、口にしたのでした。走行中というのは暇なもので、その夢はドンドン広がりました。そして千葉県野田市の実家に着く頃には、すっかりやる気になってしまいました。早速、近所の書店にブラッと立ち寄ると、そこに「50ccバイク日本一周2万キロ」という、とてつもないタイトルの本を発見したのです。著者は賀曽利隆氏です。早速購入し一日で読み切ってしまいました。もうこうなるとやるしかありませんが、当時の僕には大きな壁がありました。それは・・・
1.仕事をやめなくては、ならない。
2.資金がない。
3.結婚して一年未満。
1.2は、なんとかなるにしても、3に関しては、かなり悩みましたが、ダメもとで、話をしてみました。すると彼女は、やってみれば。と・・・もうホントに感謝です。
今思うと渋々だったのかどうかわかりませんが、僕としてはなにがなんでも説得しようと必死だったに違いありません。こうなると、あとはやるだけです。早速会社をやめ、バイクに関する知識を養うのと資金稼ぎ、バイクに慣れるのに最適なバイト「バイク便」を始めました。昼はバイク便、夜は旅の計画。さらに、僕は当時ドラマーとして5つ程のバンドを掛け持ちしていました。もう、圧倒的に時間がありませんでした。しかし、なんとかかんばって計画も順調でした。コースは賀曽利隆氏のルートを参考に、47都道府県を全て網羅し、沖縄の先の八重山諸島の端までいくものでした。すっかり計画をたて、それを持って賀曽利さんを訪ねたのでした。すると賀曽利さんも、最初の「50ccバイク日本一周2万キロ」をやったときは新婚で金もなくて、僕とほとんど同じ状況だったとのことでビックリしました。でもそのせいか、数回に渡り自分のことのようにアドバイスしてくれました。あのときは本当にありがとうございました賀曽利さん。

あとはもう出発するのみ! と言いたいところですが、ここでまた問題が起きました。それは、以前に一緒にバンドをやっていた友だちから「エスカレーターズというバンドでデビューが決まったんだけどメンバーにならないか?」というものでした。僕は「やりたいなぁ」と思ったのですが、「日本一周ツーリングにいくから、ちょっと無理かな」と言ったと思いますが、「じゃ帰ってきてからでいいよ。」言われ「あホントに。じゃあやる。」となって、とりあえず職は確保したなと。(笑)しかし、僕がのんきに旅している間も、バンドは活動していたわけでして、その時にピンチヒッターとして手伝っていただいた鈴木ケンジ氏に感謝。そしてエスカレーターズのみんなにももちろん感謝です。 こうして僕は新婚のお嫁さんを残して、旅に出たのです。


8/29---晴れ---259km

いよいよ10ヶ月ががりの計画である日本一周ツーリング初日だ。 ここまで周りの人たちには、大いに助けられたが、ここからは自分でやっていかなくてはならない。なにがなんでも、やりとげるゾ! 

スタートは日本橋のつもりだったが、R20を使うので仙川の自宅から出発する事にした。妻との別れを惜しみつつも、朝10時00出発!  R20は、いつも以上の渋滞。悲しいような、不安なような、楽しいような複雑な気分のまま走る渋滞路は、とても頭にくるものだ。「早くスムーズに走りたいよ〜」と思いつつもガマンする。目指すは、このツーリング初の林道である「中津川林道」だ。R20〜R16〜R299で中津川林道に入るのだが、この辺は何度も走っているので「日本一周をしているんだ!」という気分にはなれなかった。林道に入り、しばらくすると後ろからきたXLRがホーンを鳴らすので道を譲ると、その人も止まったので「何だろう?」と思っていると「ディパック全開ですよ。」と僕のレインウェアを差し出したのだ。ビックリしながらお礼を言い「しまった! せっかく作ってもらったオニギリも落とした!」と思った。戻ってもダメかとは思ったが、何となくスッキリしないので戻って探すことにしたのだが、下ってゆく途中に黄色の袋が落ちている。拾ってみると、なんと僕のカメラではないか! もしあの時オニギリぐらいと諦めていたら、カメラもなくしていたところだったのだ。ホッとして、さらに下ると、今度はオニギリが落ちていた。一個は潰れていたが、もう一個は無事だったので拾ってディパックにつめた。妻には申し訳ないことをしたが、これがなかったらカメラを失っていた。感謝である。その後、三国峠を越えて下ったところで、さっきのオニギリランチにした。

今日はこの後「川上牧丘林道」を走るつもりだったのだが、予定を変更してR141に出る。清里に向かい、JR最高所に行き、松原湖にをへてR299に入り去年までの国道最高所である「麦草峠」に行った。さすがに標高2117mは寒く11月頃の温度ではないだろうか? ちなみに現在の国道最高所は、無料となった「志賀草津有料道路」らしい。 R299〜R141と走り、そろそろ今日の宿泊地探しである。 途中のスーパーで買い物をした時に聞いたのだが、この先はキャンプ場などは無いとのことだ。しかし、「なんとかなるかぁ」と軽く考え、先に進むと佐久市の県道73号に入った所に千曲川の土手があった。宿泊先はアッサリと決定した。あ〜ぁ初日から野宿かよ。 いろいろとあった初日だったが、テントを張り、夕食を食べ終わる頃には、全て笑えてしまうのだった。

千曲川を眺めながらのBGMは、クインシー・ジョーンズの「オー・ハッピーディ」だ。

夕食:493
ガソリン:1230


8/30---晴れ---267km

一夜を過ごした千曲川をあとにし、走り出した。地元の人の話では、通行止めと聞いていた田口峠だが、その先の「御荷鉾スーパー林道」が諦めきれず、行けるところまで行ってみようと思い、田口峠を目指す。田口峠を越え「旧御荷鉾林道」に入った。(えっ?通行止めは?)どうも枝道から迷い込んだらしい・・・
しかし、この旧道がとんでもない林道だった。道は所々決壊し、タイヤ一本分だけ残して崩れさり、林道のど真ん中に何十トンもありそうな岩が、落ちている・・・「うわっこりゃホントに通行止めだ」と思ったが、引き返せないので何とか進む。この時ホントに、賀曽利さんの「荷物は極力少なく」「ザックに大半の荷物を」のアドバイスを思い知らされた。林道ツーリングを含むロングツーリングを快適かつノートラブルで成功させる最大のコツである。
やっとの思いで抜けだし、今度は「御荷鉾スーパー」の方だが、こっちは何とも優等生で、自分がウマくなったように感じてしまう。しかしっ! しかし長いぞ! 長すぎる! 結局こっちもヒイヒイで、新旧御荷鉾だけで100kmはあったんじゃないかと思うほどの長さだった。(実際はそんなにないけど)このクソ長い林道を抜け、「桜山温泉」で一息ついて「吹割の滝」に立ち寄る。一周一時間の遊歩道を20kg近い荷物を背負い、クソ重いMXブーツで歩いたのだが、その自然のすごさに圧倒され、苦にはならなかった。なぜあんなに美しいのかと、不思議に思ったほどだ。遊歩道出口の清水で顔を洗い、頭から水をかぶると、汗がスーッとひいていった。そんな「吹割の滝」をあとにし、今日の宿泊予定の中禅寺湖湖畔向けて金精道路を走ったのだが、今度はあまりに寒く、途中の「日光湯元温泉」に立ち寄った。白濁した湯は、温泉気分満点だった。

すっかり夜になった頃に中禅寺湖湖畔に到着した。 そして、シュラフにもぐりこみ、通風ネットの向こうにある中禅寺湖と、その対岸の静かな灯を見ながら聞いた、アントニオ・カルロス・ジョビンの「ストーン・フラワー」は最高だった。

ガソリン;868
食費;550+255+220
桜山温泉;400
日光湯元温泉;600+100
金精道路;620
キャンプ場;1000
その他;250


8/31---晴れ---168km

今日も気持ちのいい天気で、こんなに晴天続きだと雨が怖くなる。 あまりにも天気がいいので、のんびりとテントを乾かし、朝食をとって、出発だ。今日は、実家のある野田市に泊まる予定なので気が軽い。いろは坂を下り、R119〜R4〜R16の定番コースだ。

奥利根有料道路;200


9/1---晴れ

実家にもう一日ステイし、これからのロングツーリングに備える。 実は、ここで実家に立ち寄るのは、なかなか良かった。 というのは、2〜3日走ってみて装備を見直すことができたからだ。僕の場合は、もう少し大きめのザックにしたり、テントのペグなどを、丈夫な鉄製のものを追加したり、その他も色々と装備を見直した。海外などの場合、金銭でカタをつけてしまった方がいい場合もあると思うが、(宿泊や食事などを宿に泊まり、食堂ですませて装備を減らす)国内ロングツーリングで、そんな事をしていたら、アッというまに100万円を越えてしまう。 国内ロングツーリングには、節約のノウハウが必要だ。 そんな考えもあり、僕はツーリングの初期に実家に立ち寄り、装備を見直せるように、ルートを組んでおいた。 やはり、実際にその装備で走ってみて、気づくことは多いものだ。


9/2---くもり---449km

さぁ出発だ。今日が本当のロングツーリングの始まりだ。
母と妻、弟などに見送られ、R16で千葉〜木更津を通り、富津岬から東京湾を眺め、さらに走り続けたが、館山で夜になってしまった。さて今晩はどこに泊まろうか? 首都圏に近いところほど、野宿には困る。ラーメン店でラーメンを食べながら、地図を広げて考える。始めは九十九里で泊まろうと思ったが、戦後最大級と言われる台風13号が迫っていることもあったので、明日宿泊予定だった茨城県大洋村のロッジ(大洋村にはウチのロッジがある)まで行ってしまおう! となった。房総フラワーライン〜R128と走ったのだが、これが不思議な道で、初めは海沿いの道を月を右手に見ながら走るのだが、トンネルやカーブのたびに月が右に左にと入れ替わるので、いくつも月があるような錯覚に陥る。(なぜ、そう見えたのかは今だナゾのまま・・・)しかし、その月明かりの美しさを見ていると「犬吠埼」に立ち寄りたくなってきたので寄り道をする。寄り道した夜の犬吠埼は素晴らしい眺めで、しばらく見入ってしまうのだった。犬吠埼をあとにした僕は、大洋村にまっしぐらだ。もう夜の11時を回っている。雨がポツポツ降り始める中「もってくれよ〜」と祈りながらセローを走らせ、ようやくロッジに着いたときには「あ〜助かるよなぁ」とつぶやいてしまうほど、有り難い気分だった。このロッジは電話もないし、広くもないので不便だなぁと来るたびに思っていたのだが、キャンプ生活者となった今では本当にありがたかった。

考えてみたら、今日一日で、日本で2番目に大きな半島である房総半島がある千葉県の大半を一周していた。ホント今日は走ったなぁ。

ガソリン;820+664+692
波乗り道路;210
京葉道路;100
食費;444+382+150


9/3---くもり---stay

今日は、大洋村のロッジでステイだ。 テレビを見ていると、台風13号関連の特番がやたらと多い。戦後最大級などと言っていて、人がズルズルと風で吹き飛ばされている。おまけに外出禁止令まで発令されている。ニュースによると9月5日までは足止めを食いそうだ。あ〜ぁもう・・・。でもしょうがないか。暇だなぁ。

食費;643


9/4---雨のち曇り---136km

今日は朝からはっきりしない天気だが、3時になっても台風は来そうにないので出発する事にする。もう走りたくてウズウズし始めだした頃だ。テレビでは、関東から東北にかけて200mm以上の豪雨などと言っていたが、なぜか行く先はどこも晴天だ。どうも僕は“巨大な台風の目”と共に移動していたようだ。晴れ男の実力が最大限に発揮されている! 
晴れに気分をよくしたまま、茨城県の北部にある日本三名瀑のひとつ「袋田の滝」へ向かう。袋田の滝へは、R349から猪鼻峠を越えていくのだが、何もないところをしばらく走らされるので不安になる。日本三名瀑のひとつなのに看板などが異様に少なく、地味な印象だ。同じ日本三名瀑である「華厳の滝」の賑わいとは大違いだ。しかし、肝心の滝のほうは、「こりゃぁスゲェ・・・」と息をのむほど豪快だ。幅13m、落差120m、これが4段になって落ちてくる実に豪快で典型的な段瀑だ。そしてこの滝は冬になると凍結し、クライマーが集まり、凍結した滝を登る事でも有名だ。

滝のすぐ横に階段があり、滝の上部まで行けるようだったので、階段を登ったが、これはかなりキツい。勾配もキツいし、ひたすら長い! くそ重いMXブーツのせいもあって、足がガクガクしてしまうほど大変だった。 今日は、近くの「月居温泉」で汗を流し、テントを張ると、もう今日はグッスリだ。あ〜疲れた。

食費;245+120+110
月居温泉;350
袋田の滝観瀑料;100


9/5---晴れ---365km

今日から東北。みちのく一人旅だ。 R118〜R349〜R289を通り、勿来からR6に入り、日本三景のひとつである「松島」を目指す。途中、相馬港に立ち寄ると、日曜ということもあり、釣り客で賑わっている。ついでに、相馬港近くで米沢牛のスキヤキを食べる。もうバカウマ!  R6〜R45でいよいよ「松島」だ。「松島」は大小の島が点在し、ひとつの景観を成している。これは人間の目で見るか、航空写真でないと、全体の美しさはわからないだろう。僕のカメラでは、とてもではないが全体の美しさを捉えきれない。

松島ではひとつの島に行き、ウロウロしてみたが、期待が大きすぎたせいか、いまいちインパクトがなかった。

今日は松島に泊まろうと思っていたのだが、ちょっと物足りなかったので、牡鹿半島先端のキャンプ場まで行くことにした。 牧山有料〜県7で夕暮れの牡鹿半島を走ったのだが、オレンジ色に染まってゆく海の美しさは息をのむ美しさで、真っ暗になるまで眺めるのだった。

その後、真っ暗な中でキャンプ場を探しあてると、そこには6台のバイクがあったので「ツーリングクラブかなぁ」と思い、話しかけると、一組のペアを除いて、みなソロだという。しかも、その内2人は僕と同じく日本一周中で、他の人たちもロングツーリストだった。皆で焚き火を囲み、ビール片手に旅の情報交換をしたりして楽しく過ごした。 そしてこの日、僕はこの旅に対する考えを大きく変えることになった。
この旅に出てから、いろいろな所で「へぇ〜日本一周かぁ。すごいなぁ。いいねぇ。」など言われ、どこか優越感のようなものを持っていたかも知れない
。ツーリングライダーに会っても、何となく自分の方が大きな事をしているような気になって話していたような気がする。しかし、ここで初めて同じ「日本一周」という目標を持ち、それぞれの旅をしている人と話をしていると、本当にこの人たちにも、頑張ってもらいたいし、絶対に旅を成功させてもらいたいと思うようになった。

今まで、自分が持っていた、虫けらほどもない優越感が、急にものすごく格好悪いものに思えてきた。「あ〜オレ、カッコわるいや・・・」と・・・なんにもわかってないじゃん・・・と

ガソリン;705+874
食費;1545+220
日用品;556
牧山有料;100
キャンプ場;410


9/6---晴れ---298km

昨夜のメンバーが次々と起き、出かけてゆく。僕は最後から2番目の出発になった。
コバルトラインを走り、R398〜R45〜R107で、岩手県にある、洞内滝としては日本一の落差を誇る滝がある鍾乳洞「滝観洞」に向かう。入洞料720円には、え〜高いよ〜と思ったが、これも滝のためと思い、渋々払って入洞する。真夏だというのに中はひんやりと肌寒い。奥に滝のある鍾乳洞らしく、川が流れている。そして意外と暗い。平日なので当然誰もいない。ふと、祠(ほこら)のようなところを見るとなにか書いてある。なになに・・「ここは映画、八墓村のロケ地で・・・スケキヨが・・・」ギャーッ!やめてくれよう。ただでさえ怖いのに。この後ロケ地は3、4箇所もあり、入口から880mの地点にやっとお目当ての滝があった。こわごわ滝までたどりつたが、やっぱり来てよかった。

今日は本州最東端の岬「魚毛ヶ崎(トドガサキ)」に泊まる。
魚毛ヶ崎灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月の」だったかな?のロケ地である。ここは灯台に至る手前に最後の集落があり、そこから約40〜50分も山道を歩かなくては行けない。明日は行くぞ!

そして「今、本州の一番東端で飯を喰い、寝ているのは、オレだ〜」と思うと、なんだかちょっぴり得した気分になれた。
BGMはピンククラウドの「CUT CLOUD」だけど、なぜか妙に合うなぁココ。

ガソリン;872
昼食;1200
切手;620
滝観洞;720
コバルトライン;420
食料;680
キャンプ場;200


9/7---くもり---267 km

今日は朝日を見に行くぞ! 
本州一早い朝日を! と思い、苦しい山道を朝の3時から登る。やっとこさで「本州最東端の碑」にたどりついた時は、やったぜ! だったが、今日はあいにくの曇り空・・・チクショー。そして、灯台には灯台守のオジさんがひとり・・・待てよ・・・「今、本州の一番東端で飯を喰い、寝ているのは、オレだ〜」って・・・あっ・・・「本州の一番東端で飯を喰い、寝ている」のは、このオジさんだったか・・・。しかもオジさんにとっては、ほんの日常なのであった・・・・こうして僕は「本州で二番目に東端で飯を喰い、寝ていた」に格下げとなった。悲しい。

本州で二番目に東端で飯を喰い、寝ていた男は、旅を始める。 今日は三陸のリアス式海岸沿いに続く、浄土ヶ浜〜鵜の巣断崖〜北山崎〜黒崎灯台を満喫する。天気が良かったのも手伝い、素晴らしい景観だ。中でも、フラッと訪ねた鵜の巣断崖はすごい迫力で、高さで100mくらいの切り立った崖がW字になっていてリアス式海岸の豪快さを目の当たりにできる。フラッと立ち寄るといいモノに出会える確立は非常に高い。

その後、青森県の三沢を目指し走る。天気があやしい。この分だと今晩は雨かもしれない。三沢に到着し、今晩の宿泊先を探す。温泉センターのようなところに聞きに入ると、そこの管理人の横田さんという方がいて、やけに親切にしてくれる。夕飯をごちそうしてくれ、一緒にビールを飲んで話したのだが、横田さんは、若い頃に世界中をくまなく旅して歩いた経験を持つ旅の大先輩だったのだ。僕に同じ人種のにおいを感じたという。すっかり意気投合し、青森の地名の事や、世界各地の事など、とても面白く聞かせてもらった。すっかり酔っぱらったところで、センターのすぐ横にあるキャンプ施設にタダで泊めてもらった。

その後、僕は湖畔のキャンプ場にテントを設営したのだが、夜半に雨が降り出し、湖が増水し、かなりやばいところまで浸水した。

ガソリン;863+684
三沢温泉;140
食費;750+592+366+240
日用品;926+250


9/8---雨---282km

このツーリングに出てから初の本格的な雨だ。ついに降られたか。クソー。まぁしょうがないや。レインウェアを着てR338を走り出したが、もうすんごい雨! でも他にやることもないので、ひたすら下北半島の北西端にある「尻屋崎」を目指す。途中道を間違え、戻ろうとすると、なにやら巨大な馬がいるではないか。あっ寒立馬! 夕べ三沢の横田さんが、椎名誠氏の本で見せてくれた馬だ。寒立馬は下北半島にのみ生息している馬で、雪の中に顔をつっこんで草を食べる野生馬だ。普通の馬に比べ幾分がっちりしている。お〜これが寒立馬かぁ。思わぬミスコースだった。雨のことも忘れ、馬を見ていた。

その後いろいろ迷い、ようやく最涯の地「尻屋崎」に着いたときは、「やっとついた・・・」と、最果て感バッチリであった。しかし、あたりは寒立馬のフンでいっぱいだった。
最果て「尻屋崎」を後にし、下北名物「恐山」に向かう。恐山一帯は、硫黄の匂いが充満し、その強力な硫黄の影響で荒涼とした風景だ。朝から続いた雨も手伝い、地獄ムード満点だ。雨は相変わらず激しく降り続き、暗い一日だ。ここは温泉でも入って気分を変えようと思い、「奥薬研温泉・かっぱの湯」に入る。渓流沿いの広々とした温泉はとても気持ちがいい。このあと、ズブ濡れのウエアを着ることを考えると気が重いが、今はそんなことはどうでもいい。とりあえず極楽極楽。地獄と極楽がこんなに間近にあるとは、面白いもんだ。

さぁこれから、本州最北端の「大間崎」だ。豪雨の中、大間崎に着くと三人の先客がいて、彼らは北海道から下ってきたばかりだという。この嵐のなか乗ってきたフェリーは、まるで潜水艦の様だったという。そりゃそうだろう。顔色の悪い三人と協力して、レストハウスの1階(駐車場になっている)にテントを張るのだが、風が強すぎてテントごと吹き飛ばされてしまう。おまけに地面の下がコンクリートでペグも刺さらない。しょうがないので、あきらめて寝た。まるでテントにくるまって寝ているのと同じだ。トホホ・・・もういい。

ガソリン;817
食費;850+110