9/19---晴れ+超強風---305km

とてつもない強風の中テントをたたみ、僕は青森県の仏ヶ浦へ、木村さんは尻屋崎へと別れた。木村さんには「名古屋に着いたら是非立ち寄ってください。」と言われたので、今から名古屋が楽しみだ。 さあ9日ぶりの本州だ。仏ヶ浦を目指して海峡ラインを走るが、まだ北海道グセが残っていて、どうも走りにくく感じる。それほど北海道の道は広かった。しかし晴れた日の仏ヶ浦は素晴らしく、本州も捨てたもんじゃない。下北でもこの辺は牧場があるのだが、この辺は北海道のホルスタイン系と違い、茶色の牛だ。これは肉牛系なのかな・・・。眺めているとき、千葉の船橋から来たライダーと会ったが、これから北海道を走るという。思わず、「これから北海道ですかぁ」と言ってしまったが、自分もさんざん言われたセリフだ。やっぱ言っちゃうんだなぁ・・・なんでだろ。でも9月の北海道はサイコーだったので「サイコーですよ〜」とつけ加えた。

R279〜R4と走り、青森の駅前をぶらつき、コーヒーを飲んで、「さぁどうしようか」と考える。黄金崎の「不老ふ死温泉」で日本海に沈む夕日でも眺めながら・・・と考え、地図を見るが、ちとキツそうだ。とりあえず蟹田あたりで野宿と思い、R280を走る。ここいらには、黄金崎とは別の平舘という所に同名の「不老不死温泉」がある。こっちは不が漢字だ。(黄金崎はひらがな)だいぶ迷って見つけ、一服だ。風呂から出ると天気があやしい。絶対降るな。って感じだったのと、近くに屋根があって泊まれそうな所があったので逃げ込むと、やはり降ってきた。ナンダヨ〜。でも屋根あってヨカッタ〜。 でも雲の流れが早いから明日には晴れるな。 今夜のBGMはクインシージョーンズの「LOVE & PEACE」だ。静かな波の音が最高の演出をしてくれる・・・・・

●大間のおばちゃん達はやたらと風に詳しくて、「この風はヤマセだから尻屋の方はいいよ」とか言われた。普通のおばちゃんなのに・・・漁村ならではでしょ。そういえば、北海道の鰊番屋にも16個も風の名前があったなぁ・・・

ガソリン;766
天丼;900
ヘッドホン;980
不老不死温泉;500
食料;238
飲み物;220


9/20---快晴---332km

今日は、映画「海峡」の舞台。というか、実話なんだけど青函トンネルの青森側である龍飛崎だ。岬の少し手前に慰霊碑があり、そこにある年表を見ると、1946年に調査を始め、工事の終了が1988年とあり、実に42年もの歳月を費やして通したのだ。こんなにも多くの人が、この大仕事で命を落としたのか・・・と思うと手を合わさずにはいられなかった。終戦間もない頃に、よくもまぁこんな途方もない計画を立てたものだ。と岬に立ち函館を見つめ思った。これは大間で聞いた話だが、北海道と本州の最短距離は当然フェリー航路でもある大間崎なのだが、ここは龍飛崎に比べて水深が深く、比較的水深の浅い龍飛崎に決定したのだそうだ。工事中は、この龍飛も賑やかだったろう。今は静かな漁港だが・・・。

そして龍飛にはもう一つ名物がある。それは国道339が階段!世界中でも、こんな国道は、ここだけだろう。階段国道に至る道も長屋の路地の様なところで、人がすれ違うのがやっとだが、国道なのでセンターラインが引いてある・・・(笑)。予備知識が豊富だったせいか、思い入れの深い龍飛を後にし、黄金崎の「不老ふ死温泉」を訪ねる。海に突き出た感じの露天風呂で、湯は茶色に濁っている。ここは、夕日で有名な深浦町にあるので、海に沈む夕日を眺めながら入ったら最高だろうなぁ。露天風呂は塩分が強いので、内湯で塩分を流す。料金は内湯、露天共通だった。

その後、男鹿半島に入り、入道崎を目指す。ここは北緯40度で、岩手県の黒崎と同じ緯度にある。そして、賀曽利さんに教えてもらったモニュメントを探す。黒崎は地球儀だったが、こちらは石のモニュメントだ。
お〜戻ったぞ。北緯40度線に。 さぁ今日はどこに泊まろうか?・・おっココいいなぁ。広々とした芝生で、目の前が日本海だ。しかも、露天風呂まである! 最高だな。 まるで、高級旅館の広大な庭のようだ・・・・。なぜか、浴衣で歩いている人まで居る。ますます旅館の庭のようだ。 さぁて露天風呂だ。

●夜風呂上がりに、芝生に寝転がってプラネタリゥムのような星を眺める。ふわっと風が流れる・・・「地球のエネルギー源って何だろ・・・風も波も何もかも40何億年休まず動かしてるエネルギーは永久機関なのか? 有限機関なのか? たえず活動してるわけでしょ・・・」すごいよなぁ・・・学者に聞きたくなったよ。
●夜中にカミナリだ! 普段はそんなに恐くないけど、テントだと音もデカくて恐え〜。そういえば、北海道の静内でトイレに居るときの地震も恐かったなぁ。ズボン降りてるときに、グラッグラッだったからなぁ・・。

ガソリン;689+625
不老ふ死温泉;300
食料他;1731
昼食;543
飲み物;220


9/21---快晴---221km

朝イチで露天風呂に入り、日本海を眺める。いやぁ〜最高だ。 風呂から上がり、撤収してからパンの朝食を食べていると、2人のオッサンが話しかけてきた。「ここで、泊まったのかい?」「ええまぁ」「寂しくないか?」「もう慣れてますから・・・」「へぇ〜」この人たち、調布市から来てる人だった。ああ懐かしいなぁ・・・なんか・・・でも天気の良さに気を良くして出発。

男鹿半島をあとにし、秋田に向けて走っていると、日本人としては初めて南極大陸に立った白瀬中尉の記念館があったので立ち寄る。彼はこの金浦町出身だ。明治の日本にこんな人がいたのか・・・と信じられなかった。当時はまだ北極、南極共にまだ人跡未踏の地だった。彼は北極を目指していたが、米国のピアリーに先を越され、南極にターゲットを変更するが、途中で無念の帰国となった。結局、極点にはノルウェイのアムンセン隊が初の到達を果たしたが、この探検にはノルウェイのアムンセン隊、イギリスのスコット隊、そして前者とは比べものにならないほど貧弱な装備の日本の白瀬隊で競争となった。そして、なにより驚いたのは、他の2隊が多くの犠牲者を出したのに対し、白瀬隊は全員無事の帰国を果たしたことだ。明治の日本を考えると、これは相当に勇気のいることだっただろう。結果的には失敗だったが、隊長としての白瀬中尉の判断力には本当に敬服してしまった。その後日本人が南極点に到達したのは昭和に入ってしばらくたってからだった。 フラッと立ち寄ったのに、あまりにも面白く、一時間近くもいた。出口で「白瀬南極探検隊」と入った、南十字星の旗を買いバイクに立てて僕も南を目指して走り出す。
山形県の酒田市に入ったところでYSP酒田があったので7000kmを走破したセローのメンテをする。ここまで全くのノートラブルとは本当に頼もしい。そしてYSP酒田では地元の人達と話をする。みんな山形弁でよくわからないのだが、山形でも内陸と海沿いの庄内弁は違うのだと言う。その人達によると、正しい庄内弁で話すとフランス人に間違われると言っていたが、本当にフランス語に聞こえるので笑ってしまう。 その後、朝日村に入り、スーパー林道の入口でキャンプだ。 おっ今日は飯が最高の出来だ!

●秋田は、どこでも「なまはげ」だ。GSまで「なまはげ給油所」だ。 そして、R7を走ってる時に反対車線に・・・ついに出た〜。軽トラの荷台に三人の「なまはげ」だ。はっきり言ってものすごく恐い。アレは・・・・。

ガソリン;754
大師うどん;700
昼食;403
バイクメンテ;1520
白瀬記念館;600+500


9/22---くもり晴れ---380km

寒いっ! 寒いぞ! まだ朝の4時30だ。やっぱり山の中は寒い。それとも、もうそんな季節なのか? まだ先は長いのに・・・。でもこれからは南下することだし、本州北上編は宿泊先のアテ(知人宅や、今まで会った人達を訪ねる)もあるから何とかなるだろう。と気楽に考える。天気はまぁまぁかな。函館以来、まだ雨ナシだ。 さぁ今日は、日本三大ロングダートのひとつ「朝日スーパー林道」だ!
しかし・・・行けども行けども舗装だ。しばらく走り、やっと出てきたダートも深い砂利で舗装寸前だ。新潟県側に入ると、ようやく林道らしくなるが、これも短い。でも峠からの眺めは最高だ。でも・・・でもダートはほとんど残っていない・・・。ついでに道の名称も「朝日スーパーライン」になっているので全舗装の日も近いだろう。これは、三面ダム建設に伴って道路を整備しているのだろうが、このダム本当に必要なんだろうか? いや、それほどの価値が本当にあるんだろうか? このダム建設の為に、いくつかの部落が犠牲になっている。そこで暮らしていた人はもとより、そこに根ざしていた文化や風習はどうなんだろう。日本は、峠文化と言ってもいいほど、峠ひとつ越えると文化や風習に繊細かつダイナミックな変化がある。それは、その地域で暮らしていく中で形成され、洗練されたもののはずだ。それを、そんな簡単に破棄してしまっていいのだろうか? 風習や文化は博物館などでは生きてはゆけない。使われないと、失われてしまう。このダムがこの地域の人達にとって本当に重要なものなら、それは自然な変化だと思うので批判する気はないが、大抵はそうでもなかったりする・・・。 そんな、複雑な思いの中、少々物足りない「朝日スーパーライン」をあとにし、市街地に出る。

市街地を走っていると、カーネルサンダースを発見! ケンタッキーフライドチキンだ! うわ〜うまそ〜。なぜか、旅をしているとファーストフードが無性に食べたくなるときがあるものだ。早速注文し、2階の窓際でチキンを食べながら、ポテトとコーヒーを待つ。注文した時の女性が運んできてくれる。そして「どちらからですか?」と。僕は、「これこれでこういう旅をしているんですよ」と話すと彼女もバイク乗りだと言う。しかも、スズキの1100だそうだ。うわっ1100! セロー4台分以上だ。すげ〜な〜。

久々のファーストフードを満喫し、新潟〜寺泊〜上越とひた走る。「親不知子不知」に立ち寄り、魚津市手前でキャンプだ。キャンプ場には誰もいないので、炊事場で洗濯をすます。 おっ、誰か来た! 横浜から来た中年の夫婦だが、それにしても重装備だ。僕の装備が信じられないぐらい貧弱に見えてしまう。でも、これで僕は日本一周をしていて、たいして不自由を感じていない。なけりゃないで何とかなるもんだ。(笑)

●日本海側って夕日の名所のはずなのに、今日だけで“朝日”という地名が3カ所もあったゾ・・・。あっそうか、朝日への憧れか?

ガソリン;743+865
ケンタッキー;865
食料;946
飲み物;110
その他;250


9/23---晴れ少し曇り---204km

寒いと思ってジャケット着たまま寝たら、今日は暑いぢゃね〜か!  天気はなんとかもちそうなので出発する。

富山を抜け、R159で「渚ドライブウェイ」に着く。渚ドライブウェイは、今浜〜千里浜間8kmの砂浜を走れる公道だ。波打ち際をバシャバシャと走る。あ〜空荷で夕方だったら最高だろうなぁ〜・・・。でも渋滞してたりして・・・。観光バス走ってるからなぁ。 渚ドライブウェイをあとにし、能登金剛などを見ながら能登半島を走る。
途中の夫婦岩で休憩していると、浜松からヒッチハイクで来たというヒッピー風ドイツ人庭師が話しかけてきた。お互い九州の山はいいぞ〜とか、北海道行ってみろよ〜とか、日本各地の旅話で盛り上がる。しかも、彼は音楽好きでもあった。彼は、E・クラプトンやアルバート・キングなど、ブルース志向だ。ブルースは、いろんな音楽の原点なんだぜ。とか、いやいややっぱJBでしょ。とか、スライ聞いてみろよ〜かっこいいぜ。とか、いろいろと話ができて面白かった。そんな庭師と別れ、僕は輪島へと向かう。

輪島に着くと、まず海沿いのキャンプ場にテントを張り、空荷になったセローで輪島の町をぶらつく。能登の祭りとして有名なキリコの展示場に入る。能登は祭りの宝庫で、一年中何かしらの祭りがある。しかし、この「キリコ会館」で一番笑ったのは、最後にある「旅人、里人」のブースだ。期待して中にはいると・・・そこは元横綱“輪島”の写真だらけ。しかもプロレス入りしてからの写真は一枚もない! 栄光輝かしい時代のものしかない! 今じゃ地元の恥なのかよ〜。最近のも展示してやれよ〜。それよりも、こんなに輪島一色なら「旅人、里人」なんてしないで、素直に「力士“輪島”のコーナー」にすりゃいいのに。(笑)

その後、銭湯に入り、朝市通りで「イシル」を買った。イシルは、秋田のショッツルと並び、日本では少なくなった魚醤油だ。東南アジアでは、まだまだ魚醤油は健在だが、日本では「イシル」と「ショッツル」ぐらいではないか?

日本海に面したキャンプ場に戻ると、隣りで同年代くらいの4人組が、テントを設営している。僕はキャンプ場にあった木のテーブルに座り、日本海に沈む夕日を眺めながら、今この日記を付けている。最高にリッチな気分だ。他に言いようがない・・・・。

●夜になると、おとなりの4人組がバーベキューに誘ってくれたので、夜中まで海を眺めての大宴会となる。彼らは大阪の尼崎にあるMelco系の会社に勤めているそうだ。

銭湯;310
大判焼;80
食料;920
イシル;400
キリコ会館;400
飲み物;110


9/24---晴れ---221km

今朝は夕べの彼らと2日酔いの朝だ。そのうちの一人が海で泳いでいる・・・お〜いっ!もう10月だぞ〜。 彼らと朝食を食べ、出発だ。今日は能登の海岸線ぎりぎりの道ばかりを選んで走ったが、結構退屈な感じもする。こうして走っていると「こういう風景も見慣れたのかぁ」と感じてしまう。 今まで走った日本の海岸線の印象は、以外に急峻なんだなぁ。というものだった。砂浜って少なかった。やはり、日本は山岳国家なんだろうか?
そんなことを、ぼ〜っと考えながら走り「和倉温泉」に到着する。和倉温泉は源泉温度が94度もあり、当然温泉も熱いのだった。(もちろん40〜45度くらいにはなっているが)でも、もったいないので、我慢してできるだけ長く入る。脱衣所でのぼせてぐったりしていると、風呂から出できた人に話しかけられる。彼は東京都調布市の深大寺からツーリングしてきた人で、僕の調布ナンバーを見て親近感を持ったらしい。まさかこんなところで、そんな近所に住む人と知り合うとは・・・この辺がツーリングの面白いところだ。 彼とは地元の話や、お互いの旅の話などを交わした。また近所で会うかもなぁ。

和倉温泉を後にして、R249〜R160で島尾付近でキャンプだ。 キャンプ場に着いたのは、夜の9時も回っていたし、シーズンもとっくに過ぎているので、まさか管理人などいないと思っていたが、なんといるではないか! キャンプ場までの一本道を下ってきた管理人が僕に言う。「キャンプですか?」ここまで降りてきて、それ以外のヤツなんかいね〜よ! 500円と言われたが、もう時間も遅いんだしさぁ・・・とか言って300円に値切る。しかし、キャンプに金払ったの、ホントに久しぶりだなぁ。宮城以来じゃないかなぁ。クッソ〜。しかも、ここのオヤジ「どこでもいいよ」なんて言ったくせに、テント張ってから「あっ、そこは車通るからそっちにしてよ!」バッカヤロ〜テメーどこでもいいって言ったじゃね〜か! しかもテント張ってから気が付いたんだけど、ここのキャンプ場ウルセ〜よ、なんだか・・・・なんで夜10時にもなってガンガンに有線かかってんだよ! バカじゃね〜の! もうなんにもわかってない! あ〜やだやだ。

ガソリン;890
キャンプ場;300
食料;945
昼食;800
和倉温泉;300
飲み物;110
その他;250


9/25---晴れ---176km

今日も快晴で、暑いくらいの天気のなか出発する。R160〜R8は能登半島一周の入口でもあったので、なんだかなつかしい感じがする。さぞかし甲州街道は、なつかしく感じる事だろう。R8を走り、市電の走る街「富山駅」に着き、駅前をぶらぶらしていると、久しぶりに見るドラムセットじゃないか! あ〜もうずいぶんやってないなぁ・・・と不安がよぎる。しばらく見ていたが、あんまり上手いバンドでもなかったので早々に立ち去る。ポツポツと雨が降り出した。「うわっあのバンド全員雨男じゃね〜のか」と毒づいてやる。

そうこうしながら飛騨の山間を走り、宇津江のキャンプ場を下見に行くと、そこには宇津江48滝という滝ファンとしては見逃せない看板を発見した。早速見に行く。(しかし、なんで滝見るのに金払わなきゃいけないんだ?)その時ついでなので、キャンプ料金を聞くと1030円と言う・・・なんで野宿にそんな金額払うんだ。とムカつく。タダに慣れきったせいか、法外に高いと感じる。 滝の遊歩道を20〜30kgの荷物をかついだままMXブーツで歩くのだが、これはきつかった。袋田の滝を思い出す。しかし、ここは秘境という感じで、大小の滝が次から次へと上に行くほど現れる。ここには早瀬から直瀑までいろいろな種類の滝があり、ゼーゼー言いながら一番上まで登った。下りは休み休み下り、渓流と滝を楽しんだ。その時に気付いたのだが、この辺一帯はブナの木が多く、地面を見ると根が無数に網の目のように広がっている。これなら山崩れなど起こるはずもないだろう。見てわかる。もしこれを人工的に造ろうとしたら、これはもう大変な事だろう。しかもブナの木は優れた保水性まで備えている。これらの事はTVなどで情報としては知ってはいたが、実際に自分で見て気付くと、本当に納得させられてしまう。
そんな48滝を後にし、清見村付近のキャンプ場に入る。キャンプ場にはまったく人気はなく「こりゃタダだな」と思い、場所決めをするが、なんか気が進まない・・・来た時からそうだったのだが、なんか薄気味悪いのだ。なんだろう? この感じは・・・しばらく地面に寝転がってみる・・・・やっぱダメだここは・・・今までこんな事はなかった。どんなところでも寝れるし、気にしたこともなかったが、ここは明らかになにかが違う。もともと山の中のキャンプ場はそれほど好きなほうではないが、ここには泊まれないと感じたので、先ほど目をつけておいた第二候補に向かう。 一転し、こちらはとてもいい感じで、しかもタダだった。おまけにとなりのキャンパーを子供から手なづけ、夕食の獲得にも成功した。いや〜こっちにしてよかった。人間のカンというのは結構アテになるものだ。 さぁ明日は、久しぶりにウチの奥さんとの再会だ。

ガソリン;791
宇津江48滝;100
パン;240
昼食;700
夕食;400
飲み物;110


9/26---霧〜快晴---高山市街をウロウロ

霧の立ちこめる中テントをたたんでいると、近くでテントを張っていたファミリーの人が焚き火にあたらせてくれて、焼き芋とコーヒーをごちそうしてくれた。土日を利用してキャンプを楽しみに来ているそうで、家はこのすぐ近くだと言っていた。そんなファミリーと別れ「鹿の湯」に入ろうと思い、ウロウロしたのだが全然わからず、結局は高山の駅を行き交う人々を眺めて11時58分の電車まで時間をつぶす。 待っている間、4台のバイクが通り、少し奥の方に止めたので僕のセローも同じ所に止める。すると何やら見た顔の人がいるではないか・・・・。あっ!彼は和倉温泉で知り合った調布市深大寺在住の土屋君ではないか。いや〜2日ぶりだね〜と話す。他の3人は能登で一緒だった人達だそうだ。しばらく彼らと話してからそれぞれ走り去り、また一人で道行く人を眺めていると今度は大阪のライダーが話しかけてきて、いろいろ話をしているうち「いやね。実はCDを出すことになってるバンドに今いるんだけど・・・」という話になった。すると彼は「そういう仕事の人が、なんで日本一周なんかしてはるんですか?」と聞かれた。・・・そういえばミュージシャンでツーリングしてる人って、まだ会ってないなぁ・・・と思った。なんでだろう・・・。ミュージシャンなんて絶対に一人旅したほうがいいのになぁ・・・・。

そうこうしてるうちに正午になり、ウチの奥様到着だ。本当によくこんな所まで来てくれたものだ。こういうのってなんかいいもんだ。 久しぶりに再会し、一旦予約してある宿に荷物を預け、バスで「飛騨の里」に行く。ここは飛騨の歴史的かつ世界に誇るべき建造物“合掌作り”の家々を見て回った。これは本当にスゴい建物だと思う。雪深いこの地方の風土がこの構造を完成させたと言っても良いだろう。分厚いワラの屋根や板を何層にも重ねた屋根。広い土間など、どれをとっても圧倒的な存在感と風格、個性を兼ね備えている。このような山間の盆地になぜこれだけの文化が、そして城下町が栄えたのか?とても興味をひかれたのだった。

飲み物;110


9/27---快晴---高山市街をウロウロ

今日も快晴で本当にラッキーだ。今日は高山観光のメインである陣屋を見てまわる。高山はかつて金森家が治めた城下町で、後に江戸幕府の統治となるのだが、その前はこの陣屋に金森氏の3人の娘が住んでいた。それをそのまま幕府が陣屋として使用していた。広さも今の3倍を誇り飛騨高山・金森家の名門ぶりがうかがえる。陣屋内には高山の歴史を物語る資料が数多くあり、波瀾万丈のこの地の生い立ちに触れることができた。

陣屋を出て“やよい”という店で飛騨名物の中華そばを食べたのだが、これは隠れた飛騨の名物だと思えるほどうまい。細めんにコクのある醤油ベースのスープはシンプルだが独特なおいしさがある。 その後もブラブラと観光し、一旦宿にもどり、今度は夜の上三之町を歩く。昼間の人通りは全くなくなり、静かな古い町並みは最高だった。やはりここも、陣屋の影響があり、全ての建物は陣屋よりも低くなっているので高さの揃った美しい町並みが完成したのだった。さらに感心したのが、この景観を維持する地元の努力だ。電線は全て屋根の上を通し、通りからは見ないようになっているし、自販機(一台しかないが)も町並みと同色の格子で囲っている徹底ぶりだ。ここまで気を配っているところも少ないと思うのだが、地元の人達の思い入れが伝わる気がした。
しかし、上三之町を抜け商店街に出ると何だか、ラテン系のBGMがかかっていてすごく妙な感じがした。(笑) その後、寿司屋に入ったのだが、コレが!旨い!実にうまい。しかし、よくよく考えてみると、ここは海のない山あいの盆地である。それなのに、高山には寿司屋が多く、どこもうまい。なぜなのか。 かつて高山は富山の港でとれた魚介類を京都へ運ぶ際の中継地点だった。だから、海のない山あいの町なのに“飛騨ブリ”といってブリが名物だったりするのだ。実際、ハマチは最高にうまかった・・・。
寿司屋の後も串揚げ屋に入り、飛騨牛を食べるという贅沢三昧だ。 高山にある店はどこも店構えがサイコーで、“今、高山にいるんだ!”と強く思わせてくれる。

●陣屋の観光説明をしているオヤジは最高だった。 説明はものすごく熱が入っているのだが、休憩中になると誰よりも先に「すいません。ちょっとトイレにいってもいいですか。」などとトボけたオヤジだった。
●どっからどうみてもラーメン屋なんだが、入ったら床屋だった。


9/28---快晴---190km

今日は早いもので、高山ともお別れだ。 僕ら夫婦は、またしばらく別々に暮すことになってしまう。 ホテルを出て、夕べ歩いた上三之町を歩き、みやげ物を買った。 昼と夜で全く違う表情を見せる町並みには驚いた。すいぶん感じがちがうものだ。そして、ベンチに座り街を味わう。これはよくやるのだが、なにもせずに、ただぼんやりと座っているだけというのは、その土地を味わうには最高だ。そうこうしているうちに電車の時間はドンドンと迫ってくる。 最後に二人で駅弁を食べて15時35分の電車であっけなくお別れだ。 自分で始めた一人旅だが、このときばかりは「この先は二人でまわりたいなぁ」と思った。電車が見えなくなるまで見送り、はあっ!とひと呼吸し、さあ出発だ。

金沢を目指して走りだす。途中、世界遺産にも登録されている白川郷を通る。さすがに、合掌造りの本場を感じさせる風景だ。いよいよ、ここを過ぎると、高山ともお別れだ。なぜだか、大声を出したくなった。 大声で歌を歌って走っているうちに「さあ次はどうしよう」と旅を楽しめる気分になっていった。 金沢についた頃には、あたりはすっかり夜になっていた。 兼六園にも寄りたかったが、もうしまっていたので、またの機会にとっておこうと思う。 早速、泊まるとこ探しだ。国道沿いで適当に寝た。 普段ならもう少し吟味するのだが、高山での二日間以降、妙なやる気と自信がついていることに気づいた。


9/29---くもり〜雨---284km

朝起きてテントから出ると、そこは“ゲートボール大会”のまっただ中だった。どうりでテント張りやすそうな平地だと思ったら・・・。申し訳なさそうにコソコソと撤収する。お年寄りはゲームに夢中なようで、黄色いテントとバイクが立ち去っても誰一人として気にしていないようだった・・・。なんか寂しいが。(笑)

国道を走り、自殺の名所“東尋坊”に立ち寄る。東尋坊入口には電話があり、“とにかく電話せよ”との木標が立っている。これだけで自殺の名所だということはわかる。 東尋坊の先端まで歩き、ガケから下をのぞき込むと、吸い込まれそうな絶壁で本当に恐く、ここから落ちたら助かる確率はゼロだろう。 少し前後するが、この手前には越前松前というところを通った。ゴツゴツした岩場のところどころに慰霊のお宮があり、線香の匂いが立ちこめる異様な感じだった。やはり、なにか誘うものがあるところなんだろうか・・・。 そんな東尋坊をあとにし、コンビニで朝食を食べていると、横浜から自転車で宗谷岬〜佐多岬の本土縦断と沖縄を目指す旅をしている大学生に会った。彼もバイクの免許を取り、今度はバイクで旅をしたいと言っていた。じゃあ、そのときは是非一緒に走ろう!と約束して別れた。

さあ、出発だ。 日本海を眺めながら越前海岸を走る。それにしてもここはいいなぁ。ツーリングには最高のルートだろうなぁ。今まで走った海岸線の中では、陸前〜陸中〜陸奥の三陸リアス式海岸と並んでNo1クラスと思う。
そして、関西ライダーの北海道への玄関口である敦賀を抜け、日本三大松原の一つである“気比の松原”で昼食の弁当を食べる。今日は琵琶湖まで行くつもりだったが先程のチャリダーに「この辺の海岸線は素晴らしいですよ〜」と聞いたので予定を変更した。早速“三方五湖”をめぐり、R162で小浜〜舞鶴と走る。しかし・・・ポツッと空から水が・・・。「ついに降られるのか〜。頼む!やんでくれー」と念じると、すっきりと晴れてしまった。え〜ホント? なんせ北海道を出る時の函館以来ここまで雨ナシできているので、このツキを続けたいと思っていたのでなんだか嬉しい。

さあてと・・・。今日はどこに泊まろうかな。と考えながら走り、あらかじめ目を付けていた由良川の土手に決めた。しかし、またもや雨が・・・・。こんどこそダメそうだ。まぁしょうがないか・・・。とテントを手早く設営していると、スクーターに乗ったおばちゃんが「ここじゃあんまりだからウチにおいで」と。うわ!ラッキー。おばちゃんありがと。 おばちゃんこと山田さんには、僕と同い年くらいの息子さんがいるらしく、そんな事もあって泊めてくれたのかな。 外はザーザー降りの大雨だ。僕はあたたかい家の中で、山田さんちのおじさん、おばさん、おばあちゃんの四人で夕食を食べてた。こんな普通の事が本当にありがたく感じる。 おじさんには、天橋立のことや、日本に数カ所しか残っていない“鳴り砂”の浜のことなどいろんな事を教えてもらった。おばさんとおばあちゃんは息子が里帰りしてきたみたいだと喜んでくれ、やたらと飯を食わせる。 動けないくらい飯を食い、山田さんちの20年もののヒノキ風呂に入り、久しぶりにフカフカの布団で眠った。もう体中から疲労が抜けていった・・・・。 今日は本当「旅をしてきて良かったなぁ」と身にしみた。 チャーの曲にこんな歌詞があったな。“旅先でたづねた、民家の玄関に〜・・・一歩足を踏み入れたとき〜旅の良さがわかるはずさ〜”ってやつ。すんごい歌詞だけど実感だなぁ。 旅をしているといろいろな事に遭遇するが、人に親切にしてもらったり、同じ目的で旅をしているもの同士の話というのは、ホントに効く・・・・。まいったな・・・って感じだ。やはり一番思い出として残るもんだ。どんな景勝地や名勝もたちうちできないな・・・・。

ガソリン;817
コンビニ;350
食料他;420
乾電池;360


9/30---雨---176km

すっかりお世話になった山田さん宅で朝食までごちそうになり、山ほど米やら果物やらシャンプー、石鹸、洗剤に至るまで頂き、バイクは満載だ・・・。 いや、でも助かるなぁ。ホントにありがたい。 お礼をいってバイクで走り出す。天気はあいにくの雨だが、雨も楽しいと感じた。夏になったら、もう一度たづねてみたいと思う。

そして“天橋立”に向かう。ここは125cc以下のバイクしか通行できないので、225ccのセローは通行できない。残念! バイクを止めて歩く。天橋立を両側から見たのだが何とも不思議な地形だ。天橋立は地続きではないのだが、回転橋でつながっていて、歩きもしくは125cc以下のバイク、自転車の通行が可能だ。そしてこれは山田さんから夕べ聞かされていたのだが、天橋立のど真ん中に井戸があるのだ!海のまっただ中にある10m程しかない道の真ん中に真水のでる井戸があるのだ。一体どういうことなんだろう・・・。不思議だ。

その後、丹後半島を一周し経ヶ岬に立ったが、あまりにも激しい雨で何も見えなかった。ここは映画「新・喜びも悲しみも幾年月」の舞台となったところだ。ちなみに新がつかないほうは、あの本州最東端「魚毛ヶ先(とどがさき)」である。知らなかった。それと、この丹後半島一帯はNHKの連ドラ「ええにょぼ」の舞台にもなっている。「天気がよかったらなぁ・・・。」と思いながら泣き砂浜の“琴引ヶ浜”に行く。ところで今回はヤケに土地のことに詳しいが、全て山田さんからのウケ売りだ。 琴引ヶ浜の砂浜は日本には数少なくなった鳴き砂浜なのだが、この雨では鳴るはずもなく・・・。雨のおかげでなんにも聞こえないし誰もいない。クッソ〜。しかし、その砂浜は砂がとても細かくて、とてもキレイな砂だった。 残念だったが気をとりなおして走り出す。それにしても雨がツラくてツラくて・・・。たまらず途中で久里浜温泉に立ち寄ったが、水道管破裂のため入れず、城崎温泉は道をまちがえ通り過ぎてしまう・・・。もう、すっかり走る気も失せたので早々に休むことにする。まぁ但馬松島をみたら、どうしても晴れたところで見たいと思ったのもあり、今日はもうキャンプだ。閉鎖中のキャンプ場に入り、炊事場の屋根の下にテントを張らせてもらった。雨の日は屋根がありがたいものだ。一息ついて山田さんにもらった生ラーメンを1.5人前食べる。実にうまい! 明日からは、一週間の天気予報では晴れとなっていたので、とりあえずはいい気分だ。

●丹後半島ではドシャ降りだったが、そこらじゅう一帯のネーミングはむかつくぞ!「てんきてんき村」だ。どこがじゃあ!!ふざけるなぁ!!
●更に道中の喫茶店の名前が「晴れたり曇ったり」だ。大雨じゃあ!

ガソリン;877


10/01---晴れ〜くもり---339km

昨日の雨はウソのように晴れ、快晴のなか但馬海岸沿いのルート「但馬漁火ライン」を走り、日本一高い“余部鉄橋”をくぐる。余部鉄橋はすごいというよりも、なんだかノッポで頼りない感じさえする。ちょうど送電線の上に線路が走っているとでも言ったらいいだろうか。山陰本線で、この鉄橋を渡ったらさぞかし恐いだろうなぁ・・・・。と思いながら走り日本最大の砂丘である“鳥取砂丘”に着き、売店に荷物を預けて長グツを借りて一気に砂丘の上にかけ登った。
息を切らせて周りを眺めると、いくつかの砂丘と日本海を見ることができる。ここにいると「サハラに行きたい!」360度の砂丘群の中に飛び込みたい!と思った。
そんな鳥取砂丘をあとにし、皆生温泉に立ち寄り、日本有数の漁港である境港に行き昼メシを狙ったのだが、意外にも店は一件も見つけられなかった。
しかし市場があり、どれどれとのぞくと安いもなんのってもうビックリだ。タコやイカなどは30cm×15cmの箱にびっしり入って800円だ!物流コストがいかにかかって東京につくのかが良くわかる。 昼メシを食いはぐってしまったので、松江市内まで行き、やっとこさ焼飯にありつけた。

さあ次はいよいよ神話の里“出雲”だ。 ところで地図を見ると、この辺の地形は本当に変な形をしている。島根半島は、半島だというのだから不思議だ。神話によると、中国大陸から引っ張ってきてくっつけたということらしいが、ホントにそんな感じだ。古代日本においては、この島根は最も栄えていたことだろう。古代史の舞台といえば、この島根だ。その神々(日本古来の神)が祭られているのが出雲大社で、日本神の総本山だ。入口にセローを止め、杉並木を通り、神殿に行き、これからの旅の安全と晴天を祈り、無事に日本一周ができますようにと二礼四拍子一礼の参拝をして、出雲のもう一つの目玉である日御碕灯台を目指す。この灯台は石積み灯台としては、東洋一の高さを誇るもので、上まで登ってやるつもりで走ったのだが、途中で会った同じセローに乗る神奈川の蘭(あららぎ)さんから「灯台は今工事中で入れなかったんですよぉ」と聞かされ少しがっかりしてしまったが、とりあえず好奇心を満たし、今日の宿泊地さがしだ。蘭さんに教えてもらったところに行こうと思ったのだが、少し遠かったのと温泉津温泉(ゆのつおんせん)という面白い名前の温泉地を地図に見つけたので、そこに向かう。温泉津では蘭さんい教えてもらった元湯に入ったのだが、とてつもなく熱い!温度計は47〜48度もあるのだからたまらない。とてもじゃないが長湯はできない。でも番台のおばちゃんもいい人だったし、湯も良い湯だったので大満足だ。

●今日のキャンプサイトはペグがささんないや・・・・。
まあほとんど、コンクリートって感じだからしょうがないか・・・。

ガソリン;923+849
昼食;650
キャンプグッズ;790
皆生温泉;290
温泉津温泉;130
飲み物;110
境水道橋;100