10/02---晴れ時々くもり---372km

あまり快適とは言えない夜もあけ、空は曇り気味で今イチぱっとしない。「山陰はだから暗いイメージなんだぞ」とつぶやきつつも出発。まずは温泉だ。昨夜の元湯に入りサッパリしたところでR9を下関方面に走る。途中、萩に立ち寄り、城下町をぐるりと回るのだが、こういう時はセローの低速トルクが本当にありがたい。人の歩く速度ぐらいでもトロトロ走ってくれる。

そして長門を抜け、油谷町より本州最西北端の川尻岬に立ったが、ものすごい強風にすぐに立ち去り、いよいよ今回のツーリングで3つ目の“最”である本州最西端の岬だ。ここは地図にも岬の名前が出ていなく、地元の人もあまり興味がないのか情報があいまいだ。しかし、賀曽利さんの本の内容を頼りに行くと・・・。なんとそこは“ゴミ捨て場”になっていて、そこの柵の中に入らないとたどり着けない。ゴミ捨て場のおじさんに頼み込んでなんとか入れてもらい、左右のゴミの山を見ながら下り、海沿いのコンクリートの道を歩くと柵があり、そこより先の岩場には行けなくなっているのだが、確かに白い木標には“本州最西端の地”と書いてある。本州最東端の魚毛ヶ先(とどがさき)のマイナーぶりにも驚いたが本州最西端に至ってはゴミ捨て場の名無し岬である。なんとまぁ・・。十分観光地になると思うのだが、地元としては何とも思ってない感じである。10年たってもこのままかな。ちなみに賀曽利さんが来たときには木標すらなく、ほんとに何もなかったそうだ。

何だか不思議な気分のまま下関に入り、関門トンネルを通るといよいよ九州だ。下関と門司間はあまりにもあっけなく、九州に上陸したという感覚が薄い。大間崎〜函館間は、あんなに別世界を感じたものだが・・・・・。やはりフェリーで渡るのと陸路で渡るのでは大違いだなと思った。もちろん距離的にもはるかに短いせいもあるだろうが。 北九州ではセローのメーターバルブを交換するため、バイク屋に立ち寄る。 そこで「この辺にキャンプできるとこないですか?」と訪ねたところ、お客できていた18才の清成君が「じゃあ僕が案内しますよ」と自分のNSRで先導してくれた。彼は「せっかくなんで・・・」とカルスト台地の平尾台まで連れていってくれた。ここはいかにも九州らしい台地で、周辺は地元のバイクがたくさんきていた。その後、キャンプサイトに良さそうなところに連れていってくれた。彼は3カ月間ほど神奈川県の厚木市にいたことがあったらしいが、東京になじめず地元に戻ったという。やはり地方から見た“東京”というのは“憧れとこわさ”が入り交じったところなんだろうか・・・。住んでいると、全く気づかないが・・・・。 それにしても、さっきから全身がかゆくてかゆくてしょうがない! とりあえずメンソレータムくらいしか持ってないので塗りたくるが、腕なんかもうボコボコだ! なんだこりゃ〜。 背中からケツまでかゆいから虫系じゃないから大丈夫だろう。 湯当たりってやつかなぁ。 まぁいいや・・・とりあえず寝よう・・・・・・。

ガソリン;734+714
昼食;950
朝食;301
フィルム;1800
温泉津温泉;130
関門トンネル;50
メーターバルブ;300


10/03---くもり時々晴れ---339km

夕べの全身のハレもすっかり引いて、曇り空のなか出発! R10で中津を通り耶馬渓に入る。耶馬渓ってあの邪馬台国のことなのかなぁ?と思いながら紅葉したらすごそうな山林道を走る。途中に若山温泉(耶馬温泉)の露天風呂と内湯の両方に入る。日曜というのに独占である。温泉を出て再び耶馬渓を走るのだが、そこらじゅうで土砂崩れが起きていて「今年の九州はアタリ年だったなぁ」と感じた。

再びR10に戻り、いよいよ多くの人から「あそこはいいよ」と聞かされた国東半島一周だ。ズーッと走ったが・・・。そうでもないかなぁ・・・・。と思った。もっと岬の先端のほうまで行けば良かったかな・・・。でも国東半島では、ついにセローが2万km突破だ!よくぞここまで・・・。これからも頼むぞ!と走り出したが、国東半島ってやたらと“からあげ屋”が多いので、半島出口付近の「からあげ一番」に入り「名物なんですか?」と聞くと「別にそうではないけど、みんな好きなんですかねぇ」という返事。なるほど・・・・。そうなのか。と思い、モノは試しにと200g買ったのだが、そこの奥さんが僕が北海道を回ってきた東京の人間だとわかると、どうしてもお金を払わせない。しかも缶ジュースまでくれた。本当にありがとう。
子供が一人いて三人家族だったが、奥さんが店をやっている。たぶん30歳前後だと思うのだが、すごく感じのいい家族だったなぁ。なんとなく羨ましく思いながら、小さな「からあげ屋さん“一番”」をあとにし、日本一の湧出量を誇る別府温泉だ。まずは血の池地獄を見たのだが、本当に真っ赤な池(もちろん温泉)で不気味だ。しかし・・・ここを見るだけでなんで400円とはなんともボラれたような感じだ。こんなの全部見てたらあっというまに千円・二千円じゃないか!と思い、湯布院へ向かうことにした。
別府〜湯布院の道が、もう最高で九州の底力を見せつけらる思いがした。なんと言ったらいいのか・・・・北海道は大陸的だし、日本海側は松原などが日本風で良かったが、九州はもう九州的としか言いようがない。山間の広い草原地帯をぬうようにワインディングロードが続いている・・・・とこんな感じかな。展望台では、四国のライダーと写真を撮り、北海道情報を流したら本当に行きたがっていた。四国からだと遠いもんなぁ。 湯布院に着き、共同浴場に入る。ところで、湯布院って地名は温泉地にちなんで付けられたのだろうか?周辺の山や川は由布岳や由布川、温泉も由布院温泉だ。どっちかっていうと、“湯”よりも“由”のほうが気品があるように思うのだが・・・そんな由布院をあとにし来た道を別府へと戻ったが、一日に七色に色が変わると言われる由布岳は、夕暮れどきで、もう最高な山岳ラインをつくりだしてくれた。そしてすっかり暗くなった山道を下って行くと別府の湯けむりが、あちこちにたち登って見えた。

●またしてもライトが切れた!オン・オフできればいいのに。

ガソリン;844
昼食;650
朝食;510
たばこ;250
血の池地獄;400
由布院温泉;100
若山温泉;200
ウィンカーバルブ;515


10/04---快晴---378km

今日は当初の予定では海岸線を走るつもりだったが、天気が良いので山の方へ変更し「やまなみハイウェイ」を走る。この道は眺めが良く、ライダーには人気のコースなのだが、走ってみるとそれが本当に良くわかる。阿蘇山の周辺まで一気に山をブチ抜いて走る道で、特にロードのバイクなら最高だろう。でも少し高い? 料金が・・・・。(今は無料らしい)

やまなみハイウェイを出て、次は九州の名所である「高千穂峡」だ。ここには是非来たかったので、わくわくしながら遊歩道を歩くと・・・・素晴らしい!!としか言いようのない光景が目前に現れる。左右に切り立った崖のはるか下に渓流が流れ、その崖の上からは何本もの滝が落ち込んでいる。今まで見てきた渓流も素晴らしかったが、ここは“別格”という感じすらした。往復1.2キロの道のりが、これほど短かく感じるとは・・・。 渓谷にすっかり満足し、流しソーメンを食べて涼をとる。
ここ高千穂ではセローのメンテをした。高千穂のバイクショップの店主は、まだ20代半ばくらいの人で「東京で仕事したいよ・・・」と言う。やはり地方だとバイクもカブなどの実用車しか売れないので、「もっとスポーティなものも扱いたいなぁ」と思うらしい。無理もないか・・・。でも「親の代からの店なので仕方がないな」と言っていた。そんな彼が「海の方へ出るなら、いい道がありますよ」と道を教えてくれた。本当は国道をつなぐつもりだったが変更だ。これが一人旅の良いところ。 僕は周到な計画を立てた方だと思うが、計画はバンバンに変更する。興味のあるところには、何時だろうが走りまくる。旅立ってしまえば、決まりは何もない。計画は、それ自体が楽しいものだし“距離感”が身に付くので作るべきだと思う。ストイックな“あての無い旅”というのは、言葉の響きはいいかもしれないが、全く行くあての無い旅なんて楽しいんだろうか? なんかつまんなそうだな。自分の言葉に酔ってるみたいで恥ずかしい。

バイク屋さんに教わった道は「六峰街道」と言って、六つの町や村を通る林道(全線舗装)で、峠をいくつも越える険しい道だ。それだけに眺めは良く、九州の山なみを一望しながらの峠越えは面白かった。 その後はキャンプ地を求め宮崎に入り、“南国宮崎”を味わいながら青島白浜でキャンプをするのだった。しかし今日は温度差の激しい日だったなぁ。阿蘇では寒さに震え、宮崎では夜だというのにTシャツでも走れるほどだった。

ガソリン;628+649
やまなみハイウェイ;670+410+260
朝食;274
たばこ;250
昼食;610
オイル交換;1000
薬;2070


10/05---快晴---327km

今朝は浜に集まっていたヤンキー達の声で起きた。「なんだよ〜うるせ〜なぁ」九州はチバラギとならんでヤンキーさんが多い。それも九州全域に広がってる。これが“九州男児”か? 違うなぁ。なんとなく。 九州の人と話してて多かったのは自分を九州男児だと言う人だ。これは意外だった。正直言って、なんだか情けない感じだなぁ。自分で言うなよ。聞いてもいないのに・・・・“肩書き”に頼るなんて女々しいぜ。 まあまあ・・・(笑)寝起きの機嫌の悪さを食事でごまかす。
「青島」という民宿で朝食と洗濯だ。 中に入って気づいたのだが、この民宿は巨人軍の宮崎キャンプで使われるらしい。王や長嶋のサインがあった。あっ!昨日の夜、この向かいのホテルに王さん来てるじゃね〜か!「我が野球人生」だって・・・。くっそー聞きたかったなぁ。王貞治ぅ・・・。と悔やみながら日南海岸を走ると、ヤシの木が道沿いにズラーッと並び、いかにも宮崎ムード満点だ。そんな日南フェニックスロードを抜け「都井岬」に向かう。ここには野生馬が繁殖しているので下北半島尻屋崎の寒立馬(やはり野生馬)と比べてみたが、やはりこちらの方がスリムというか南っぽい感じだ。この辺が面白いのだが、人も同じで、青森からの日本海側をズーッと女性の顔立ちに注目していたのだが、南下するほどスリムになっているように思った。気候のせいなのだろうか? でも美人度は秋田〜能登が日本一だと思う。

都井岬をあとにし、一路「本土最南端・佐多岬」を目指す。 途中でドーナツ屋で休憩がてら、沖縄行きフェリーの状況を調べる。今朝の民宿で初めて台風19号が近づいていることを知ったからだ。沖縄及び南西諸島はモロにブチあたるルートなので心配だ。電話で問い合わせると、今日の便は出港するが、明日の便は欠航が決まっているので、その次は9日だと言う。しかも今日の便も避難しながらの航行になるかも知れないらしい。次が9日となると、これはもう・・・今日の便に乗るしかないな。と思ったのだが、今は午後1時で出港は夕方の5時だ。佐多岬を経由で桜島を一周していたら、とてもではないが間に合わない!さぁ、ここからが荒くれ男道な一日だ。とりあえず佐多岬まで全開で走り、遊歩道を大汗をかいて走り、本土最南端の碑にたどり着く。一息ついて来た道をゼェゼェいいながら戻り、一路鹿児島に走った。そういえば岬に行く途中で会った人が、今日のフェリーを迷っていたので「オレ乗りますよ!乗っちゃいましょう!」と別れたので、彼に追いつけばいいなぁと思いながら走りまくりだ。しかし佐多岬周辺は亜熱帯植物がたくさんあって何だかミクロネシアやポリネシアって感じで、あ〜っ! もっとゆっくり楽しみたい! と少しくやしい思いをするが仕方がない。こんな状況なので道に迷っているわけには行かない。少しでも不安になったらバイクを止め「鹿児島こっちですか〜」と聞いて行く。時間は、あと2時間弱なので走れても100kmがいいところだ。そこで“↑鹿児島58k”の看板だ。やったぜ。楽勝だなと思い走り出す。途中の食堂でクセのように「鹿児島までどのくらいっすか〜」と聞いて事情をニコニコと話していると、そこのオバちゃんが「そんなん、あんた間にあわんよ」と言われ。「え??」となる。「鹿児島だったら桜島からフェリーに乗んなさい」と言うのだ。不思議に思いながらも、まぁいっか〜と走り出す。そこで目に入った看板は“↑鹿児島88k”だ。ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜???!!!なんで〜〜〜〜〜??。思わず叫んでしまった。あ〜〜〜〜〜こりゃ下道じゃ無理だ・・・・・。そうだ! ダメもとで、桜島ルートで行ってみよう。フェリーがどのくらいの間隔で出ているかにかかっている。桜島の溶岩道路を100km以上でぶっ飛ばす。途中パトカーを見かけたが「ゆっくり走ってたら3日分の宿代で同じ事」と思い完全に無視する。やっとの思いで乗り場につき、2分前に乗り込み25分の休憩タイムだ。鹿児島港に16時45分に着いたが、沖縄行きのフェリー乗り場は別の乗り場だ。これがまたわかりにくい。でも、あきらめずに道を聞きまくって、やっとセローを船に載せた時にはタラップをあげるのを係の女性が止めていてくれたほどのすべりこみだ。船の中には佐多岬の彼はいなかったので、たぶん間に合わなかったのだろう・・・・。オバちゃんに道聞いてよかった〜。さあ〜〜〜〜沖縄までの24時間の大シケの台風直撃の船旅はどうなるか?

●おおお〜〜〜ゆれてきたぞ〜〜〜船がゆれてきたぞ〜〜〜。

ガソリン;612+779
朝食;550
洗濯;300
佐多岬有料;400
佐多岬歩道;100
桜島フェリー;430
琉球海運フェリー(那覇行き/バイク+人);13100
親子丼;700
ドーナツ;350


10/06---快晴---20km

昨夜の台風は、幸いにもルートをそれたので船は順調に航行し、今日の海上は、やや穏やかで、朝から青空が南のコバルトブルーの海と見事なコントラストを見せてくれる。船首部分のデッキに一人座り、果てしなく広がる大海原を見つめ、南風をあびていると、自分が沖縄に向かっているんだ! という実感がこみ上げて来た。ついにここまで来たんだな・・・・・。

那覇新港に着き、セローをおろすと、まずはメシ! と思い、首里城方面へ走り、途中の食堂でソーキ汁定食を注文した。ソーキ汁は豚のアバラ肉とコンブに青菜、ニガウリ、豆腐などの入った沖縄料理で、これは強烈にウマイ! 最高だ! 沖縄料理がこんなにウマイとは思わなかった! すっかり満足し首里城を見学する。首里城は、江戸時代の少し前から始まり、明治12年までの450年間続いた琉球王国の中心地で、度重なる火災にもめげず、なぜか全く同じ場所に4〜5度も建てられた王宮だ。 首里城は、中国と日本の文化の影響を受けた独特な造りで、琉球の文化や歴史は非常に興味深いものだった。後で本などを是非読んでみようと思う。 首里城をあとにし、周辺をぶらつき、那覇新港より石垣島行きのフェリーに乗る。フェリーの中では、待合室で知り合った、神奈川県海老名からきているチャリダーの斉藤姉妹とオリオンビールを飲み、おおいに盛り上がった。この姉妹は双子で(でも全然似てない)26歳で同い年だ。15日間の予定で石垣に行くという。この2人は北海道なども走っていて話が合う。きっと石垣の米原キャンプ場でも一緒になるね。と話した。

●さすがに沖縄。みんな濃い顔立ちをしている。カッコイイ。 Tシャツ一枚でも暑い!気温は30度近い。もう10月なのに。

朝食;650
ソーキ汁定食;1000
首里城入場料;800
飲み物;390
エビセン;130
オリオンビール;270
琉球海運フェリー(石垣行き/バイク+人);10050
コーヒー;350
その他;250


10/07---くもり〜晴れ〜くもり---0km

夕べの姉妹の妹のほうと昼食を食べ、海を見てみようと言うことになり、2〜3時間と大シケの海を見て「おおお〜〜〜〜〜〜〜〜っ」とか「たおれる〜〜〜〜〜」とかいって騒いでいた。そうこうしているうちに船は石垣港に入り、セローをおろし、今日はチャリダー姉妹と、もう一人同じ船にいたチャリダーの中満君を加え石垣港泊となる。彼はバイクでの日本一周の後、今度はチャリでの日本一周だ。4年間つき合った彼女に三行半をつきつけられての旅立ちだ。よくやるよ・・・・・。 斉藤姉妹に彼は「ゴーヤ君」と呼ばれていた。 なぜかというと、沖縄本島で彼女達がゴーヤチャンプルー(ニガウリの炒めもの)を注文し、その苦さにまいっていたときに横で同じく苦い顔で醤油をかけまくってゴーヤの苦さをごまかしていたところを目撃されていたからだ。(笑)と、このメンツでフェリー乗り場でごろ寝をした。

朝食;550
昼食;650
食料;650
飲み物;260


10/08---晴れ---136km

フェリーターミナルの食堂で八重山ソバを食べ、いよいよ石垣島一周だ。 海岸線を走り、観音堂に立ち寄り、手を合わせる。セミがうるさいくらいに鳴いているのを聞くと「今は一体何月なんだ?」と不思議に思う。ここも日本なのか・・・。そして唐人墓に立ち寄り、名蔵湾を右手に見ながら御神崎に立つ。ここは切り立ったガケで、はるか下のほうで波がブチ当たって波しぶきが飛んでいる。御神崎をあとにし、県道79号に戻ろうとUターンしようと思ったが、先の方に林道がある。「行けるトコまで行ってみよう」と思い林道に入ると、そこは本州の林道とは全く違う亜熱帯のジャングルのような道が続いている。土は赤茶色で、それまでもが本州とは違う。奥の方まで行ったのだがガソリンがかなりやばい状態だったので戻ることにした。 川平まで戻り、ガソリンを給油して走り出す。途中、中満チャリが前方を走っていたので、一緒に米原海岸に行き、米原の「八重山ヤシ群」を見に行った。入口の売店でヤシガニを見ながらシークェイサーを飲む。シークェイサーとは、カボスに似た味で、とてもすっきりした飲み口だ。一息ついたところでヤシ群に入り遊歩道を歩いたのだが、ここはもうアマゾンという感じで、とても日本とは思えなかった。 その後、平久保崎まで往復したが、ここは行ってみて良かった〜〜〜と思うほどいいところで、石垣島の岬の中では御神崎と並び素晴らしい風景だった。 再びR390に戻り玉取崎に立ち白保に寄り、宮良のヒルギ林に着いた。ヒルギ林とは、わかりやすく言うとマングローブの林だ。 海水と淡水の混じったところに群生するマングローブは亜熱帯を強く感じさせてくれるので大好きだ。しばらくマングローブの林を眺めていると中満チャリが追いついてきたので、共に石垣港で2泊目だ。

●石垣唯一の銭湯にいった。 古くて石造りの薄暗い銭湯だったが、すごくいい雰囲気だ。 湯につかっていると、“ストロング金剛”みたいなスキンヘッドの大男がいきなり入ってきて掃除をはじめた・・・。で、やさしい声で「あ、すいません。ゆっくりはいっててくださいね」だと・・・。意外すぎるよキミ。

ガソリン;920
八重山ソバ;300
郵送;350
シークェイサー;350
みそ汁;500
銭湯;230
夕食;420


10/09---晴れ---2km

蚊にやられ、はれた目のまま中満チャリと与那国行きのフェリー乗り場へ行くとバイクが4台いたので話をする。彼らは石垣の米原キャンプ場に滞在していた同士だという。これで6人での与那国行きとなる。20人乗りくらいの船で約4時間の船旅だ。 与那国に上陸すると、まず向かうのは当然、最西端。つまり“日本国最西端”である“西崎(いりざきと読む)”だ。

おお〜ついに最西端かぁ! 

みんなで写真を撮ったあと買い出しをして泡盛で飲み会となる。 熊本から来ている弥山さん以外は全員日本一周中で、あらためて北海道と沖縄・八重山諸島が日本一周の人達に多く会うところなのだと実感した。 まぁ、そうでもなかったら、こんなところまでこないか・・・・。 夜になると、こわいくらいの星が夜空一面に広がる。 六方向を照らし出す、珍しいミラーボールのような灯台の光をながめ、日本最西端の碑のそばで眠った。

●同じセローに乗る福島の鈴木さん(スゥさん)が「おお〜このセローはアイデアの宝庫だなぁ」とバシバシ写真をとってた。そういう、あなたのセローもすごいぞ。なんで中華鍋とか足ヒレとかシュノーケルまでもってんだ。(笑)

●最西端の碑のある岬には、屋根付きの小さな展望台があるのだが、ここの天井の形は“ヨナグニサン”を模している。ヨナグニサンとは、ここ与那国島にしかいない世界最大の蛾のことだ。その大きさは・・・30cmもある・・・。もう鳥でしょ・・それは。

ヤキソバ;400
石垣島→与那国島フェリー(往復/バイク+人);9850
食料;1030
飲み物;300


10/10---晴れ---52km

ゆうべのメンツ・・・。 中満チャリダー、スゥさん、チャーミー(なんでもチャーミーグリーンが由来らしい)、ニーナさん(新名さん)、弥山さんも全員起きて、いよいよ台湾までわずか123kmの島である与那国島一周だ。

バイクの4人は一緒に出かけたが、僕は気ままに走りたいので一人で走り出す。
まずは「久部良バリ」に立つ。ここは幅1〜3m、深さ7mもある断層で、かつて琉球王国時代には人頭税だったので、人減らしの為に妊婦にここを飛ばせて大丈夫だったものだけが生き残ったという歴史を持つ。実際にここに立つと足がすくんで、とてもではないが飛べるものではない。ここを自分の奥さんが飛ばなくてはならなくなった男は、どんな思いでこの断層を見ただろう・・・・。そう思うと“歴史”だったとはいえ、やりきれない気持ちになった。
そしてその後、馬鼻崎で野生馬である与那国馬を見て、名所「ティンタバナ」に行く。ここは高さ100mくらいの台地(テーブルトップ状)で、ここにはかつてこの島を治めた女傑“サンアイイソバ”の碑があった。サンアイイソバは16世紀末にこの地を治めた与那国の英雄だ。 さらに岩場のトンネルのような道を行くとイヌガンという岩穴がある。ここはかつて、この島に流れ着いた船の乗員の中に女性がいて、他の男たちは、この島に住む犬に全員殺されてしまった。その後その犬と女性は、この穴の中に住んでいたが、ある日一人の漁師が漂流してきた。女性は「この島には恐ろしい犬がいるから帰りなさい」と忠告したが、男はその女性の美しさに惹かれ、ひそかに犬を殺し、この女性と夫婦となったが、ふとしたことから男が犬を殺した事を知り、ひどく悲しみ犬の横で自殺してしまった・・・。そしてこの洞穴には島で唯一、湧き水が出ている穴がある・・・・。 このティンタバナは与那国の歴史の一片をを見ることができるのだ。

そんな神秘的な台地「ティンタバナ」を抜けて租納に入り、ナンタ浜で遊ぼうとセローを砂浜に入れたとたん、一気にタイヤが半分近くまで埋まってしまった・・・。トホホ・・・。バイクは両手を離しても直立したまま・・・。このあと大汗をかいて、セローを引き抜いた。まいった〜。 フウフウしながら町中を走ると、泡盛の工場(民家と区別がつかないが・・)があったので立ち寄ると朝別れた4人と再会だ。まぁ狭い島なので、不思議でもなんでもないけど・・・。ここで彼らに合流し、泡盛の「舞富名」を一人一本ずつもらった。今度は5人で東の端である「東崎(あがりざき)」に立ち「サンニヌ台」へ向かった。サンニヌ台は断層が棚状になっており、僕が先端まで降りるとみんなも恐る恐る降りてくる。5人で「スッゲー」「ここは本当に日本なのか!!」と八重山ツーリングの決まり文句を言う。でも本当にそう言わずにはいられないのだ。本当に船のような形をした「グンカン岩」など驚かずにはいられない。そして、すぐ隣りにある「立神岩」これはすごいね。チ◯ポだ。紛れもなく。それ以外には見ようとするのは無理がある。(笑) 東崎を見おろす高台を通り、西崎に向けて走ったのだが、途中で「カタブル浜」というのがあったので他の四台と別れ、浜に向かいドボ〜〜ンだ。十月に海水浴ができるなんて信じられないなぁ。

一旦、西崎に戻り、中満チャリと与那国唯一のしゃれた店である「ユキさんち」に夕食を食べにいく。この店がすごく居ごごちが良くてマスター? は音楽好きのヒッピー風の人でなかなかノリがいい。 ここにはダイバーが多く集まるらしく、店はにぎわっていたので楽しかった。今、ここ与那国は「海底遺跡」で盛り上がっている。パンフにも遺跡ポイントと書いてある。この遺跡とてつもない規模で、パンフを見る限りでは石器かなんかが転がってる程度という感じだが、とんでもない!ものすごい規模(笑)そのうち世界的な話題になったりして・・・・。 しかし、与那国とは一周わずか220〜30キロなのに、なんて見どころたっぷりなんだろう。こんな素晴らしい島が一部のダイバーと釣り人にしか知られていないなんて不思議だ。 ここは、そう簡単に来れるところではないけれど、いつかまた戻って来るぞ。 近い内に必ず。

食料;1000
昼食;800
夕食;950


10/11---晴れ〜くもり---12km

今日はいよいよ石垣に戻る日だ。退屈するだろうと思っていたが、あと一週間はいたいと思うほどいいところだったので、少しなごり惜しい気分でフェリーに乗り込む。石垣までは4時間の船旅だ。しかしコレが大揺れで、すごいのなんのって・・・初めは全員甲板に出て“おお〜〜”とか言って騒いでいたが、一人消え・・・二人消え・・・ついに僕と中満以外は全員船室で唸っている。ゲロゲロの人が5〜6人もいて、あっちでゲ〜ゲ〜こっちでゲ〜ゲ〜やっている。すごい揺れ方だ。とてもじゃないが船室ではメシを食えないので、僕と中満は甲板で弁当を食うことにした。波がザバザバ〜と入ってくるので、それを避けながらメシを食う。座ってるのさえ難しいくらいだ。かなり船に強い人でもコレにはマイるだろう。まぁ、全然ヘーキだったけど。(笑)ご飯も美味しかったし。そんな長〜い長〜い船旅を終えて下船するときにはみんなフラフラになっていた。かわいそ〜に。 あいかわらず中満はくっついてくる。(笑)

コインランドリーに行き、具志堅記念館に行く。元Jrフライ級のチャンピオン具志堅用高の記念館だ。もう具志堅といえば、僕が子供の頃の大ヒーローで、Jrフライ級V13は未だに破られていない大金字塔だ。数々のタイトル戦のビデオを見て写真などを見て、誰もいないのをいいことに、展示品のガウンとグローブをつけて、館内にあるリングに上がりファイティングポーズを取ってみた。いい感じだ。(笑)
記念館を出てオヤジに聞いた二軒となりにある具志堅用高の実家の前でも写真を撮らせてもらった。ファンだからね。 夕食を食べて、風呂に行き、今夜の宿泊先の離島行きフェリーターミナルには同じようなアホが、8人も地べたに寝ている。ここは宿泊所か! 今日は、なんと「第1回結婚記念日」だ。今日くらいは奮発して電話をしよう。しかし、初めての結婚記念日がよりにもよって日本一遠い「八重山諸島」とは・・・。

●コインランドリーが、ブレイカーはトブわ、水があふれて大洪水になるわで大変だった。
●「星の砂」をもらった。本当に星の形をしている。西表島と波照間島にあるらしい。
●後で知ったのだけど、具志堅記念館の“もぎり”のオヤジは具志堅用高の父親らしい。

与那国島→石垣島フェリー(?);3400
浜の湯;230
コンビニ;1030
夕食;550
ランドリー;400
飲み物;300


10/12---晴れ---1km

今日のフェリーは座席があり、与那国行きのフェリーよりも豪華だ。 2時間後に日本最南端の島「波照間島」に着く。早速、与那国で一緒だった6人で八重山ソバで腹ごしらえ。(島に一軒の食堂の唯一のメニュー)その辺にいた子供に道を訪ねると、西の浜がいいと言う。このガキ小学生だと思ったら「高校は落ちた」といっていたので16歳か・・・。全然見えないな。でも、まぁ「オレらなんか6人とも無職だぜ」と大爆笑。そう、今日は平日である。

ビーチに行き、エメラルドグリーンの海に大騒ぎして入る。海中にはウニやナマコ、熱帯魚がたくさんいて、手づかみで取れる。もう本当にキレイでパンフレットの写真なんかブッ飛んでしまうほどだ。沖縄本島の人が「泳ぐなら離島がいい」というのが良くわかる。そんな西の浜でさんざん遊び、公園の水道で水浴びしていると(海パン一丁) 3人までいったところで地元のオヤジに「風紀が乱れるから、やめろ!」と怒られる。くっそ〜オレと中満はまだだったのに・・・。仕方なく近くの民宿に「シャワー貸してくださ〜い」と言うとダメだと・・・。なんとなく全体に不親切というか疎外的な島だなぁ。バカヤロ〜と思いながら歩き「民宿たましろ」で再度頼むと、今度はオッケーだ。ありがとう〜。再びビーチに戻り、昼間に会ったダイバー、ライダー、徒歩旅人でウニを食べて、泡盛を飲んで大騒ぎだ。最南端の地から見る星は、とても多くキレイだった。

●川もないのに、ホタルがたくさんいたのはなぜだろう。
●昼間に会ったダイバー、ライダー、徒歩旅人は宿とってるのに、結局ここで野宿してる。一体何のために宿とってるんだ。
●この島の唯一の貯水池である“池”を見た。赤土で濁っていた。この島の生活がどれほど、不自由で大変なものかを思い知らされてしまった。旅行者が、浮かれて、大騒ぎをする事は仕方がない部分もあるが、逆の立場だったらムカツクだろう・・・。

石垣島→波照間島フェリー(往復/バイク+人);6880
八重山ソバ;500
オリオンビール;250
夕食;400


10/13---晴れ---16km

今日は昨日より、さらにいい天気で暑い。午前中に西の浜ビーチの少し先のほうまで砂浜を散歩する。干潮になっていたので、サンゴがところどころで頭を出している。そのサンゴのわずかな潮だまりに、すごく鮮やかなブルーの小魚が泳いでいる・・・キレイだなぁ・・・・。貝などを拾いながら戻り、陽もだいぶ上がったので海に入る。海ははるか沖までエメラルドグリーンの遠浅で、遠くのブルーの濃いところがリーフの切れ目だ。そこから海は急に深くなっている。浅瀬の珊瑚礁を歩き、深さが3〜5mくらいのエメラルドグリーンのところから足ヒレとシュノーケル、ゴーグルを借りて沖まで出ることにする。
少し進み、海底の色が急に明るくなっているところにさしかかった時は、思わず「ワ-------ッ! スッゲェ-------!」と海中で叫んでしまったほどの美しさで、両側がサンゴの通路になっていて、通路の真ん中の海底は白い砂で、水深が砂のところで、5mぐらいでサンゴの壁の上部分で2mぐらいあり、サンゴのスキ間や、そこらじゅうに色鮮やかな熱帯魚がパァ------ッ!と泳いでいる。さらに沖の方へいくとサンゴが山脈のようにウネウネと続き、ところどころに白い砂のみえる海溝がある。
マリンブルーの世界にス-------ッと吸い込まれるような素晴らしさで、もうこの美しさは言い表せないほどで「どうだった?」と聞かれても「いやぁブワ----ッとなってサンゴがグワ----ッとあってス-------ッと入ってく感じ」なんて説明しかできない。ダイビングにハマる人の気持ちわかるなぁ・・・。でも、初めてのシュノーケリングが世界でも有数の美しさを誇る沖縄離島の海の、それもサンゴに囲まれた波照間とは、ホンットにゼータクだ。

もう今日は後のこと書けないなぁ・・・・。

●今晩も、泡盛で宴である・・・・。

食料;500


10/14---くもり---9km

今日は波照間をあとにする日だ。朝食を食べ(インド帰りのマッちゃん! ごちそうさま)スーさん、チャーミーとの3人で「日本最南端の碑」に向かう。日本最南端の高那崎は切り立った断崖が何kmも続いていて、反対側の西の浜からは想像もつかないほどだ。3人で日本最南端の碑の前で記念撮影をする。僕とチャーミーは、ここで日本の東西南北の端に立ったことになるので、バンザ〜〜〜イだ。
高那崎をあとにし、西の浜ビーチに戻り、荷物をバイクに積み、食堂で昼食を食べて波照間島を出港した。本当に夢のような離島群の旅だった。 約2時間の船旅で船は石垣港に到着した。石垣では買い物をし、風呂に入り、いよいよ那覇経由で一気に鹿児島行きだ。合計40数時間の船旅だ。 離島に行く初日に出会ったスーさん、ニーナさん、チャーミー、のりP(先に帰った)。波照間で会った、マッちゃん、ウニ女(ダイバー)、エビちゃん、ラテン系の人・・・etc 本当に多くの人に何度も会い、行動を共にしたので妙に一体感があった。中でも、石垣初日から一緒だった中満チャリとは一週間もの間、行動を共にした。 僕は基本的に一人が好きだ。団体で行動するのは不自由で嫌いだ。どちらかというと、そういう性分だ。しかし、今回の八重山行で「行動を共にするのも、時には、わるくはないかもな」と思った。 その人達とも一部をのぞきお別れだ。同じ船に乗るのは、ニーナさん、マッちゃん、チャーミーの3人。スーさんと中満チャリに見送られ、4人で船から手を振った。船旅ってこういうもんだ。・・・・ついに出てしまった・・・。そんな思いでいっぱいだった。

南西諸島は本当に思い出深い旅となり、ここで出会った人達とは、いつか必ず再会したいと思うのだった。 船の中では、4人で楽しかった八重山諸島(南西諸島)での話で大いに盛り上がり夜の12時過ぎまで大笑いしていた。

いつか近いうちに絶対に八重山に戻るぞ〜!

チャーハン;500
弁当;231
浜の湯;230


10/15---晴れ---10km

今日は完全に移動日だ。フェリー乗り継ぎの合間に雑用を那覇で済ませ、フェリーターミナルで食事する。チャーミーが注文したゴーヤチャンプルーを少しもらって最後の沖縄を味わった。にがいなぁ・・・。ニガウリだから当たり前か・・・。マッちゃんは奄美諸島に行くので明日のフェリーだ。鹿児島行きは僕と、チャーミー、ニーナさんの3人。また同じ「ぷりんせす おきなわ」で22時間の船旅だ。

●この船では、波照間で一緒だったエビちゃんと再会だ!
●となりの外国人がハシでカレーを食べてる・・・。それは大変だろ・・。

フェリー;13030
食料;993