10/16---快晴---118km

夢のようにのんびりした南の旅も終わり、久しぶりに本土最南の地、鹿児島に船は入港した。ここでエビちゃん、ニーナさんと別れ、チャーミーと2人で鹿児島で洗濯や郵便、洗車などを済ませ、桜島行きフェリーターミナルに向かい「鹿児島ラーメン」という、おばちゃんが一人でやっているラーメン屋に入り、ラーメンライスを注文する。久しぶりというのも手伝ってか、最高にウマかった。しっかし、おばちゃんの話すコトバが全然わからん! 文節を見失った僕ら2人には、“バイク”という単語しかわからなかった。おそるべし鹿児島弁である。

満腹になったところで桜島フェリーで桜島に上陸し、「古里温泉」に入る。ここはニーナさんのオススメで、少々高いがGOODな露天風呂だった。しかし・・・背中に“南無阿弥陀仏”と入った浴衣を着なくてはならないのが、ちょっとイヤだ。・・・混浴だから仕方がないとはいえ・・・それに、おばちゃんばっかだし・・・。まぁでも、海に面した温泉は最高だ。久しぶりに温泉に入った。 それにしても、沖縄には温泉が全くといって良いほど無いのに、鹿児島は日本一の温泉の宝庫なのだから面白い。

温泉でサッパリし、桜島の「鳥居埋没地」に行く。この鳥居は大正時代にあった桜島の噴火で、上部を90cmほど残して埋没してしまったのだ。桜島は島ではないのに、なぜ“桜島”というかと言うと、元々は島だったのだが、噴火の火山灰や30億トン! もの溶岩で大隅半島と陸続きになってしまったのだった! なんという火山のパワー・・・。と思いながら、海岸線を霧島連峰に向かう。R223を走っていると、温泉宿に見慣れたCBRが・・・。ア〜〜ッ。ニーナさんだ! 早速再会だ。ほんの数時間なのに、もうしばらく会っていなかったかのようになつかしい。チャーミーとの3人でひとしきり話したあと別れたのだが、ニーナさんとは同じく太平洋側を北上するルートなので、またどこかで再会するかもしれない。楽しみだ。

チャーミーと僕は「霧島温泉」に入り、そこにあるキャンプ場に泊まることにした。夕食を食べ終わり洗い物をしていると、隣りのキャンパーの女性が声をかけてきたので2人でノコノコと出向き、ビールなどをごちそうになる。僕とチャーミーは旅の話をしたりした。 鹿児島に住んでいるという、この人達の中にオフロードバイクに乗っている人がいて、いろいろとバイク談義をしていると、チャーミーが「オフが欲しい〜〜」となげく(笑)。チャーミーのバイクはオンロードのグース250。

洗濯;400
郵便;1340
古里温泉;721
霧島温泉;100
食材;98
鹿児島ラーメン;620
桜島フェリー;430
ガソリン;1125


10/17---晴れ〜雨---152km

朝起きてテントをたたみ、出発の準備をしていると、夕べの人達がミカンとコーヒーをごちそうしてくれた。うわあ! ありがとう! 僕とチャーミーはお礼をして出発する。
まずは「えびの高原」だ。ここは本当に素晴らしく独特な景色で、山の美しさと高原の素晴らしさは九州ならではである。ここで、リッチな気分でパンの朝食を食べ、大地獄、小地獄を歩く。あちこちで硫黄が吹き出していて、霧島一帯がまだ活発な火山活動をしている事を実感させられる。さあ歩いたあとは温泉だ! と思い、有名な「えびの市営露天風呂」に行ったのだが、残念ながら改装中で入れず、くやしいので水だけ汲んで、えびの市経由で鹿児島を目指す。途中の道ではところどころで紅葉していて、秋が深まっている事を知った。つい2〜3日前は入道雲の下で海水浴をしていたのに・・・。こういう時は「日本は広い!」と感じてしまう。
鹿児島を目指し走っていると、ポツポツと雨が降り出してしまい、ついにレインウェアを着る。九州は8月にあんなに雨が降ったのに、まだ足りないのか?・・・と思ってしまう。鹿児島で昼食を食べ、R10で指宿に入り、泊まるところのメドをつけて指宿名物の「砂蒸し温泉」に入る。浴衣を着て砂の上に寝ると、おばちゃんがドサドサと砂をかけてくれる。上下からポカポカと温かく、15分もすると汗が出て暑くなる。考えてみたら不思議な温泉だなぁ。と思いながら内湯に入り、砂を流す。こちらも温泉だ。温泉内では地元の人達が話しているのだが、やはりサッパリわからない。全くわからない。ここはまだ、薩摩なのだな・・・。思えばここ鹿児島は、現代日本の基となった明治維新の中心舞台だ。それを思い出すと鹿児島県というよりも「ここは薩摩藩」と思った方が楽しい。

●今日は雨なので、公民館の下で泊まることにした。
●そこで「えびのの水」(少し酸味があるので不安だったが)で米を炊き食べた。結構おいしく炊けたので良かった。

ホルモン定食;500
ガソリン;684
砂蒸し温泉;720
夕食;300


10/18---雨〜晴れ---123km

今日こそは晴れ! と思ったが、あいにくの雨だ。仕方なくレインウェアを着て走り出したが、枕崎に近づくにつれ雨も上がり、枕崎の「なにわ」でカツオタタキ定食を食べる頃には完全に雨は上がっていた。 枕崎を出てR226を走り、野間崎を目指し海岸線を走ったのだが、坊津からのリアス式海岸のような海岸線の美しさといったら、もう素晴らしく、ここに夕日が沈む事を想像するだけでワクワクしてしまうほどだ。 この海岸線のクライマックスが本州最西南端の「野間岬」だ。 ここの灯台をめざし走ったのだが、わかりにくくて迷っていると、大分からの老父婦が「この砂利道の先ですよ」と教えてくれたので、僕は迷わずセローを乗り入れる。チャーミーも少し躊躇しながらもスズキグース250でついてきた。
しかしこの道がエラいガレ場で、途中からはセローでもキツいってくらいの悪路になった。当然チャーミーは歩きだ。ズーッと下ると、なんと超急坂が海に落ち込んでいて道は無くなっていた。「エエ〜〜ウソ〜〜〜聞いてないよ〜〜〜」状態でUターンして引き返す。チャーミーのバイクもやっとの思いでUターンしてセローの前を走っていたのだが、急に停車して“アア〜〜〜ッ!”という声・・・。ナンダ? と思い近づくと、グース250のオイルパンが割れて、オイルがドーーーッと流れている・・・。あまりの悪路にロードバイクであるグース250の油冷オイルタンクが割れてしまったのだ。 チャーミーはガックリと肩を落とし「日本一周もここまでか・・・」と座り込んでしまった。応急処置もできないほどのクラックだったので、とりあえず近くにあったロラン局(通信塔)までセローで行き、事情を説明すると八方手をつくしてくれたのだが、どこもお手上げで、どうにもならなかった。とりあえず、野間池漁港に修理できるかも知れない人がいると聞いたので、2人ですっかりオイルの抜けきったバイクを押して野間池の部落にある家を訪ねたのだが、やはり直せない。なんせカブ以外のバイクはさわったこともないというのだから無理もない。その人は親切に近くの街の知り合いにも電話してくれたのだが、やはりダメだった。

すっかりと意気消沈している僕ら2人に、その家のおばあちゃんが「さっきブリが水揚げされたから食べなさい」と穫れたてのブリの刺身を出してくれたので、とりあえず腹ごしらえだ。これが最高に旨くて、特にハラの部分など醤油もワサビもいらない・・もったいないくらいのうまさだった。特にこういうピンチの時は、涙がでるほどウマイもんだ。 お腹が落ちつくと気分にも余裕が出てくる。再チャレンジだ。今度は鹿児島のスズキに電話をしてみる。すると「今は人がいないので、後でもう一度電話して欲しい」との事だった。チャーミーも「なんとかなるさ」って言い続けたせいもあってか落ちついたというのか、開き直ったというのか、釣りする人を見ていた。しかし、ここで釣りしてるオッさんってすごいなぁ。5秒おきくらいにポンポンと小アジを釣り上げてる。さすがはプロだ。僕らも拾った針と糸でやってみたが1匹も釣れなかった。見ると簡単そうなんだけどなぁ・・・。

しばらく漁港をウロつき(でっかいブリやタイが揚がってた)夜の7時30頃もう一度スズキに電話すると、こちらに向かっているという。ヨカッタ〜〜! 午後8時30頃チャーミーはグース250と共に鹿児島に行った。彼とは石垣〜与那国〜波照間〜石垣〜鹿児島〜指宿と共に旅をしたので、何としてもバイクを直し、日本一周を成功させて欲しいと思った。石垣で会った人達もみんなそう思う事だろう。 さあ、今夜からはまた一人だ。思えば沖縄に渡る前の宮崎以来の一人旅なので、期待と不安で、これはこれで楽しくなってくる。 チャーミー。絶対成功してくれよ〜。石垣で会ったスーさんもニーナさんも中満も無事に日本を一周して欲しい。せっかく走り出したんだからさぁ。

もちろん自分も日本一周、47都道府県全走破、日本最東西南北端制覇をやりとげようと思う。

カツオタタキ定食;1100
飲み物;220


10/19---晴れ---357km

夕べの家の人が朝食をごちそうしてくれた。カステラにお茶と、ゆで卵を食べさせてくれ、その後にトビウオとアジの刺身とご飯が出た! それにしても、ここは何と刺身のウマイところなんだろう・・・。ホントに小さな小さな漁港なのに・・・。さぁ満タンだ〜と出発しようとすると、おばちゃんが「コレ持ってきな」と3段積みの弁当に、ゆで卵4個を持たせてくれた。ホントにおばちゃんありがとう。旅立つのが惜しくなるほどの人情を受けながら出発。

今日は「吹き上げ浜」に立ち寄る。だが場所がわからん! ウロウロしていると松林の入口に・・・10年前だが、ここにテントを張っていたカップルが行方不明になったという内容・・・。さらに読むと“国外に連れ去られた模様”とのこと・・・。オッカネ〜ッ! 鳥取砂丘周辺もホントにやばいらしいけど本当にあるんだなぁ。ビビりながら松林の中に入っていったが、いやなもん読んじゃったので、吹き上げ浜はあっさりととばしてしまう。

R270に出て「湯の元温泉」の元湯に入り、朝からの体調不良もすっきりだ。R3〜R389で長島に渡る。本当は天草は行かないつもりだったが、あまりに美しい海岸線を見ていると「天草諸島を走ってみたい!」と強く思い、温泉で教えてもらったルートに変更したのだ。長島のフェリー乗り場で早速弁当を食べる。ヒゲナガエビ、アジ巻きコンブ、ホタルイカ、タマゴ焼き、焼き魚・・・がどっさりと入っている。「こりゃすげ〜」と思いながら食べたが、さすがの大食いもギブアップだ。なんせ2人分たっぷりのつもりで作ってくれているので、すごい量だ。動きたくなかったが、仕方なくバイクを船にのせる。30分の船旅の間は天草半島を眺めながら、地元のトラックの運ちゃんと話をした。最近は海が汚くなって牛深(地名)も船が減ってしまった・・・。という。こんなに美しい海なのにと思った。 天草に上陸し、素晴らしい群島を右手に見ながらワインディングを走る。本家“松島”も真っ青というほどの眺めだ。途中話しかけてきた会社員風の人と話をしてから「天草五橋」を走る。天草五橋は、第一の橋以外はほとんどつながっている言うぐらいに続いている。小島が無数にある天草ならではの橋だ。この橋がないと、ここは不便だろうなぁ。天草四郎のころは、これが無かったので、お堀の役割をしてたのかなぁ・・・。とかいろいろ考えてしまった。

R324〜R3とつなぎ、有明海を左手に見て走ったが、干潟に沈む夕日はまさに息を飲むほどの絶景だ。しばし見入ってしまう。 今日は、石垣〜与那国で一緒だった弥山さん宅にお世話になるので余裕がある。R3で熊本を抜け、R208で弥山さん宅に夜8時頃着いた。妹さんが梨やカニやらいろいろ出してくれ、大喜びで次々に食べ尽くした。それにしても弥山さんの妹さんは兄とは似ても似つかないほどカワイイのでビックリしてしまった。(笑)弥山さんの家の人達とひとしきり話をし、弥山さんの部屋で与那国のビデオ(彼はビデオを撮っていた)をみたが「ア〜〜ッまた行きたい!」ともう思ってしまうほどなつかしかった。

天草みやげ;620
長島フェリー;1070
ガソリン;731
ペグ;370
湯の元温泉;120
バルブ;2000


10/20---晴れ一時雨---261km

お世話になった弥山さん宅を出発し、佐賀を抜け、島原半島に入る。普賢岳の横をかすめるR57に入ると深江町で、やはり通行止めの看板があった。仕方なく別ルートで普賢岳近くを通れそうなルートを探しながらR251を走ると深江町付近にさしかかった辺りで突然、桜島のような風景に出くわした。民家が火山灰と巨大な岩で2階まで埋まり、屋根はメチャクチャになっている。R251も火山灰で赤茶色になっていて車が走るとモウモウと煙がたちこめて前が見えなくなるほどだ。計り知れない火山のパワーにただただ圧倒されてしまい、これでは雲仙の温泉なんて無理かなぁ・・・なんて思いながらも枝道に入る。途中、島原城なども見たが、雲仙の災害のほうがインパクトが強くて、あまり印象に残らなかった。それほど災害の傷跡は大きかった。 枝道をウロウロしていてふと見ると、突然R57の看板が! やった! 通れる! いまだ噴煙をあげる普賢岳に向けて恐る恐るセローを走らせる。空は火山灰でどんよりと曇っている。しばらく走ると「雲仙温泉」に出たので共同浴場「湯の里」に入る。白く濁った湯で、温泉ムードは最高だ。活発に活動している火山の温泉に入れるなんて世界でも日本ぐらいじゃないだろうか? ついこの前まで大災害を受けていたところとは思えないほど温泉街は平静だったのには正直驚いた。そのうえ“普賢岳爆発写真あります”のチラシにはマイッタ。本当に日本人と言うのは、根に持たないというか、打たれ強いというか、すぐ忘れるというか・・・。しかし、ある意味それが今の日本経済を支えているのだろう。過ぎたことにいつまでもこだわり過ぎていては前には進めない。雲仙の復旧力を見て他のアジア諸国と日本の大きな違いを感じた。良くも悪くも特殊で独特な民族性を持っている。
そんな雲仙をあとにし県道を下る。実はこの道は、温泉湯舟で会った、“ハゲの小太り中年双子”に教えてもらったのだ。裸のつきあいっていいもんだ。(笑)

そして特異な歴史を持つ街。長崎に入る。 長崎には横浜と同じく、中華街があるので、そこに行き一番うまそうな店でチャンポンを食べた。ここが大当たりで、隣りにいた人などは、みやげもの屋で聞いて来たと言っていた。しか〜し! 店を出ようとするとザーーーッと大雨だ。やはり長崎は雨なんだ・・・。と思い日記をつけながら作戦を練っていると、おばちゃんがコーヒーをサービスしてくれた。そして泊まるのなら山の上にある温泉センターに行くといいよ。と教えてくれた。これはありがたい。 だいぶ迷って、やっとたどり着いたのだが、これはいい! 楽しい! すっかり楽しくなり、館内の施設や風呂、サウナなどを次々に使いまくった。仮眠スペースだって野宿に比べれば・・・いや、普通のユースホステルなどと比較しても100倍は快適! (大げさすぎるな・・・)これで泊まって2500円なのだから最高だ。ユースですら3000円以上はするのに・・・。しかも高台にあるので、雨の長崎の夜景まで見れるのだからハマるなぁ。 さあまた温泉(ヒノキ露天風呂)に入るぞ。

●迷いついでにオランダ坂に入ってみたけど、ここは夕方に行ったら最高だろうなぁ。真っ暗だったから。でも洋館がライトアップされてていい感じ。

温泉センター;2500
チャンポン;700
チャーメン;400
飲み物;220
その他;250


10/21---晴れ---231km

朝一番で温泉に入りまくり、快適そのものだった“温泉センター”を出発する。稲佐山の展望台に登り、しばし長崎の街を眺める。稲佐山を下り、R202(別名;三菱通りというらしい)を走ったが、この通りには三菱重工の中でもとりわけ歴史の長い長崎造船所があり、レンガ造りの建物は「日本経済を支えてきたぞ!」と言わんばかりの風格だ。R202をズーッと走り、角力灘を横目に見ていると、美しいアーチ型の橋に出た。これが佐世保への玄関口である西海橋だ。下にある大村湾は、とても流れが速いので橋げたを立てることができない。それでアーチ型になったそうだが、この橋は完成当時は東洋一の長さだった(アーチ型としては)。この美しい橋を見ながら、さっき買っておいた、からあげ弁当大盛りを食べた。

佐世保のバイクショップでは1万km以上走破したタイヤを交換する。新品にしたいところだが、金もないので中古タイヤでガマンし、浮かせたお金でゴアテックスのオーバーソックスを買う。これで雨の日の足の冷たさもマシになるだろう。

その後、日本本土最西端の岬をすっとばしていた事に気づく。ま、いっか。それより伊万里焼きの伊万里に行きたい。伊万里では明日から祭りらしく、街全体が華やかな雰囲気だ。祭りになるとこのあたりは通行止めだったろうなぁ。と思いながらぶらついてみる。伊万里を出発すると、一路「虹の松原」に向かう。虹の松原を夜中に散歩してみたが、夜の松原は恐いもんだ。

●途中、浦之崎というところに不気味な廃墟があった。しかし雨ならば泊まっていただろう・・・。屋根があるって事はありがたい。

郵送代;1020
ガソリン;710+748
夕食;309
タイヤ交換;7000
ゴアテックス靴下;7200
から揚げ弁当+飲み物;520


10/22---快晴---?km

快晴は気持ちいい。さて行くかな。と走り出す。R202を走る。福岡への道は表示が多いので迷うことはない。福岡といえば、まずは博多なので天神方面に走る。初めて見る博多の街はとても巨大で、東京でいえば新宿西口の小田急周辺から甲州街道沿いに本当にそっくりだ。これはもう新宿だなぁ〜と思い、博多の駅前にセローを止めて駅の中をブラつく。中まで新宿南口なんかにそっくりだ。なつかしいような気分のまま地下の食堂街におりる。さて博多トンコツラーメンを食うぞ! とテキトーに入る。「めんたいラーメン」というのがあったので一石二鳥だと思い、ライスと同時に注文する。カウンターにはドンブリ一杯のタカナの明太漬けがあり、いくら食べてもタダなのでラーメンにどっさりのせて食べた。辛い! うまい!  お腹もいっぱいになったところで博多の街をさらにウロウロする。そういえば、九州各地で「福岡は危ないところじゃけん気ぃつけてな」と言われたが、あまりピンとこない。新宿歌舞伎町も似たようなものなので、そのへんの感覚は麻痺してるんだろうなぁ。僕にはかえってこのくらいの方が活気があっていい感じだ。

博多をあとにし「海の中道」を走る。ここは両側が波打つ海という変わった地形で、その先にある志賀島まで行き、グルッと一周する。この島の玄界灘に面した側の海岸線は奇岩が多く、飽きることがなかった。再び県道26(R465)に戻り、日本一大きな注連縄(しめなわ)がある宮治嶽神宮に立ち寄る。確かに巨大な注連縄だが、なんとなく出雲大社の新殿のほうの注連縄のほうが大きいような・・・・。まぁいいんだけど。 R199に入り若戸大橋を渡ると、九州の玄関口である北九州市だ。来るときはトンネルでアッという間だったので、帰りは関門橋を渡った。橋の上でセローを止め九州を眺めると「あぁ九州も終わってしまう・・・」もっと内陸のほうも走ってみたかったなぁとか、いろいろな思いが頭に浮かぶ。

さぁ気分を変えて本州北上と四国だ。R2を宇部方面に走り、途中で“まるごとバナナ”を食べ(無性にコレが食べたかった)R460に“秋芳洞→”とあったので明日の一発目は秋芳洞だ。

今晩のおかずはシチューだ。うわ〜うまそ〜。テント内は湯気まみれ!

食料;368
フィルム・電池;1504
ガソリン;844
夕食;250
からしめんたいこ;1030
めんたいラーメンライス;700
若戸大橋;80
関門橋;250


10/23---晴れ---?km

今日は日本三大◯◯の連チャンだ。
まずは日本三大鍾乳洞の一つ「秋芳洞」だ。入洞料1240円には迷ったが、せっかくなので渋々払う。高いなぁ。しかし中に入ってしまえば、そんなことは忘れてしまう。これはすげ〜〜! と思わず口にしてしまうほどのスケールだ。入口付近には“青天井”という高さが30m幅15mの広大な洞窟にはブッとんだ。入ったとたんに別世界に引きずりこまれてしまう。さらに進むと有名な“百枚皿”があり、思わず「すごいなぁ・・・」とため息がでてしまう。その後も全く飽きることなく、往復2kmの道のりが短く感じられる。山口に来たら絶対にハズせないポイントであることは間違いない! 
とてもここだけでは語り尽くせないほどのインパクトだった秋芳洞の次は、その秋芳洞の真上に位置する、日本三大カルスト台地の一つである「秋芳台」だ。台地の草原の上にポツポツと顔を出している岩が外国の墓地のように見える。でも、さわやかで、のどかな感じもあるのが何とも不思議だ。

強烈なインパクトを朝っぱらから食らってしまったなぁ・・と思いながら山口市に入り「湯田温泉」に立ち寄る。しかし宿はどこも宿泊しないと温泉はダメで、唯一あるセンターも1030円とバカ高なので頭にきて、先に進むが見事に迷ってしまい、結局R9を下関方面に戻り、R2に入った。チクショー! そのままR2をダラダラと走るが、今日はやたらと寒い!国道沿いの温度表示は12度だ。これは11月下旬の寒さだ。うう〜〜〜寒い〜〜〜。とガマンしながら走り続けたが途中に「湯野温泉郷」を発見し、たまらず左折だ。すんなり元湯を見つけて入る。フッ〜〜〜。極楽極楽。

体を温めると、アンダーウェアを着て寒さに備える。防府を抜け、新南陽〜徳山〜下松〜熊毛〜玖珂を一気にR2で走り、岩国市に入ったところでR22をそれて日本三大奇橋の一つ「錦帯橋」に行く。アーチ型の橋が五重に連なっている橋で、その優雅な姿には奇橋というのは似合わないと思った。この三大奇橋に関しては、四国の「かずら橋」を残すのみとなった。山梨の「猿橋」は以前に2度ほど行っている。 顔だけが寒いままR2を走り広島に入り、日本三景の最後の三つ目である「安芸の厳島」だ。ここは今までに何度か来ているが、対岸からじっくり眺めたことはなかった。ここからの眺めもオツなものである。
このあと広島で、名物のお好み焼きを食べ、一路福山のおじさんの家に急ぐ。このところチョロチョロ走りが多かったので久しぶりの一気走りだ。気分がいい。しかし寒い・・・。10度だ・・・。バイクで100km近くで走っていると体感温度はマイナスってくらい寒い。しかしこの挑戦してる感じが一気走りのいいところだ。10度切ってもこの装備で結構走れるなぁという妙な自信を持ってしまった。
夜の7時過ぎに、おじさんの家に到着した。 お好み焼きを食べたばかりなのに、すきやきをまたもや食べまくる。一体どういう胃なんだろうか。

秋芳洞;1240
ガソリン;884
広島お好み焼き;800
飲み物;110
湯野温泉;250


10/24---晴れ---0km

今日は寒さも弱まり過ごしやすい一日だ。せっかくなので・・という事で叔父さんと、いとこのシンヤ君との3人で周辺に車で出かける。ワインディングの山道を登り、峠の展望台に立つと、瀬戸内の素晴らしい眺めだ。手前の方には大小の島々が見え、その遠くに明日から走る四国連山が霞んで見える。左手側には福山の工業地帯が見え、右手には尾道の港町が見える。家から車で20分もしないところに、こんな良いところあるなんて、少しうらやましくも思った。
峠をくだると「マリンパーク境ヶ浜」に着く。ここは海に浮かぶ2万トンの水族園で、中ではペンギンや水槽の中の魚の群を見た。中でも熱帯魚のコーナーや、3Dによるサンゴ礁探検ビデオなどは、波照間島を再び思い出してしまう。そんなマリンパークをでて福山近郊の名所「鞆の浦」に行く。ここは、亡くなった岡山のおじいちゃん、おばあちゃんに連れられホントに小さい頃によく遊びに来たところだそうが、当の本人は全く覚えていないのが残念だったが、そんな話を聞かされると、自分の本当の故郷はこの瀬戸内の海のような気がした。父も子供の頃は、ここでよく泳いだりしていたそうだ。鞆の浦は古いたたずまいを残す漁港で、一歩路地に足を踏み入れると、まるでタイムスリップしたかのような民家が並んでいて、その狭い路地ではおばちゃんが茹でたシャコを売っていた。シャコを買い、叔父さんの家に帰りもう一晩お世話になる。明日からは四国一周だ。


10/25---晴れ---185km

ずいぶんとお世話になった、叔父さん宅を出発して四国に渡るべく下津井港に向かう。ここではフェリー乗り場を一度通り過ぎて、チャーミーに教えてもらった瀬戸大橋ビューポイントに向かう。話どおり素晴らしい眺めで、長大な瀬戸大橋が一望できる。橋を眺めていると、地元のライダー(ハーレーに乗ってる)に話しかけられた。「よく、ここ知ってましたね〜。地元でも知らない人が多いのに」こんなことを言われると、あらためてツーリングライダー同士の情報網に感心してしまう。その人としばらく話した後、11時30分発の関西急行フェリーに乗り込む。フェリーの中では、福山の叔父さんにもらった小袋をソッとのぞく。1万円! 悪いなぁ・・・。と思ってしまう。4〜5日分の資金を手に気を良くしながら四国(丸亀港)に向かうフェリーから再び瀬戸大橋を眺める。この橋は渡るより見る方が絶対いいと思った。でも金がないので渡れないだけ・・・(笑)
途中、本島に寄り、出港から1時間後には丸亀港に到着。

さぁ四国一周のスタートだ。まずは坂井戸方面に走り、途中でR11に入る。さすがにこの辺は四国の玄関口だけあって道も広く、実に走りやすい。今日は北海道の襟裳岬で知り合った遠藤さんを訪ねるつもりなので徳島をめざして走る。それにしても、うどん屋の多さといったら・・・関東で言ったら国道沿いのファミリーレストラン並にうどん屋が続く。これはもう食べるしかない! と思い、国道沿いのうどん屋に入り、煮込みうどんを食べた。 やはり、うどんがうまい。コシがあって・・・。ごくごく普通の店なのに、東京の名店なみだ。(たいした名店も知らないんだけど)食後に色々なところに電話した時に遠藤さんもOKという事だったので安心して鳴門名物の渦潮を見に行った。渦潮はわざわざ有料道路に乗らなくても、鳴門公園から見れるということをチャーミーに聞いていたので鳴門公園に向かう。鳴門公園に着き、渦潮を見たのだが今日はホントに小さくてないも同然だった・・・。しかしまぁ、鳴門海峡の流れがいかに速いかは良くわかったので、とりあえずは満足しウズ潮公園をあとにした。

その後、R11を走り遠藤さんと再会だ。それにしても徳島は大きな街だなぁ・・・。などと思いながら、遠藤さんの部屋(寮)に着き、風呂に入り「夕食を食べに行こう」ということになり「どっかに面白いところに案内してくださいよ〜」と言うと、行った先は・・・何と! 「セルフうどん」これは自分でうどんを茹でて、具をトッピングして食べるという本当のセルフだが、実にうまい! で、安い! つゆがダシのきいた薄い色のつゆで、東京のうどんが食べられなくなりそうだった。その後、飲みに行き北海道のことなどをさんざん話してから部屋に戻り、また日本酒を飲みながら、今度は四国の道について色々と教えてもらった。遠藤さんは県の道路土木課に勤めているので道のエキスパートだ。周辺林道の状況などについても調べていてくれて本当に大助かりだった。

●鳴門公園では、警察官が20人くらいで写真撮ったり、みやげものを買ったりしていて不気味だった。

ガソリン;592
水玉ハイウェイ;200
飲み物;110
フェリー;1610
煮込みうどん;650
居酒屋;2000
日用品;200
テレホンカード;1000
その他;250


10/26---晴れ---254km

とても楽しく語り合った遠藤さんに別れを告げ、四国のメインイベント、日本最長林道の「剣山スーパー林道」に入る。この林道は一本で88kmという日本最長林道だ。遠藤さんによると「今の時期は一年でも一番いいときですよ! 紅葉がすごくて。いいなぁ」とのことだ。本当にラッキーだ! 
もういきなり景色が良くて、ちっとも先に進めない。スーパー林道というと道が良すぎてダートという感じがしないものが多いのに、この林道は普通の林道と同じくらいで、これが88kmも続くのかと思うとワクワクする。しかもこの紅葉だ。久しぶりのダート走行で初めのうちは緊張したが、すぐに慣れてペースも上がってきた。渓谷をいくつも通り過ぎて行くので景色は最高だ。標高が1000mを越えるところはかなり寒かったが、そんなことは大して気にならないほどに楽しいルートだ。さすがはダート天国四国である。 林道もずいぶんと走ったあたりで、BAJAに乗る横浜のライダーに会った。彼は来年に日本一周をするので、予行走行に来ているそうだ。そして石垣島方面に行くのを迷っていたので「絶対に行った方がいいよ!」などと話した。そこで彼とは別れたのだが、同じ日本一周をこれからやってやろうという人に会うのは何だかとても嬉しく思う。
そしてスーパー林道の残り20kmを走りR195に出た。予定では、このあとも海沿いまで出る林道を走るつもりだったが、これはこれで満足したし気分も変わったので、一気に高知市に向かう。市内に近づくにつれて気温はどんどん上がり、はりまや橋に着く頃には林道での寒さがウソのように暑い。さすがは“南国土佐”だ。しかし「はりまや橋」には少々がっかりしてしまった。と言うのも、今は“橋”というのは名ばかりで、朱塗りの橋柱が残っているだけといった姿になっているからだ。この橋も、もっと町のはずれの方にあれば原型を残していただろうに・・・。でも、まぁ歴史の移り変わりを見る事ができたのだと思えば、そんな不満も楽しめてしまうものだ。保護っていうのは難しいものだ。橋を残せば、ここに川が残り、当時の技術力や都市計画では街を現在のように活気がある、にぎやかな感じにはならなかったかも知れない。うら寂しいところに、この鮮やかな橋があっても空しいだけだろう・・・。今の高知はこうだ。これはこれで楽しむという視点でモノを見ることも時には大事かも知れない。 そんな高知市をあとにし30kmほど先で野宿だ。

明日はいよいよ日本最後の清流こと「四万十川」にそって上流から下流まで下ってみようと思う。

ガソリン;828+753
朝・昼食;774
明朝食;270
その他;250


10/27---晴れ---421km

今日も晴天に恵まれ本当にラッキーだ。大野見村を通り、四万十川上流をめざす。
四万十川は地図で見ると実に妙な川だ。川はクネクネと蛇行し、海に出るのかと思うほど下り始めるが、また内陸に戻ったりしている。しかも上流付近は次々に枝分かれしていて、一体どれが源流なのかわからない。事実、四万十川源流地については周辺の村や街が主張をし、争っていると言う。四万十川源流の街となれば立派な観光資源なので、争いが起きるのも無理はないだろうが・・・。そんな事を考えながら枝の上流の一つをめざすが、寒い寒い! たまらず「松葉川温泉」に立ち寄るが、早朝ということもあり、まだ開いていなかった。仕方なく諦め、川沿いの道を下ってゆく。
しばらく下ったところで、ようやくこの川が四万十川であることを確信できる看板などが出てくる。道のかなり下に川が流れているが、川底まで見えるほどの透明度には驚いた。川沿いに蛇行する道を中村市に向けて下る。途中に小学生を渡す船乗り場に立ち寄る。以前にテレビで見て、いいなぁと思っていた場所に自分が立っているのが、なんとなく嬉しかった。その後も四万十川を下り、中村市にでる頃には川幅も広くなっていた。

さぁ次にめざすは四国最南端の「足摺岬」だ。中村市から1時間ほどで足摺岬に着き、展望台に立つと眼下に黒潮の海が広がり、切り立った崖に波がブチ当たり、しぶきが飛んでいるのが見える。昼食をここで済ませてバイクに戻ると、国立から来ているGPZ900のライダーとあれこれ話をする。話をしていると、そこに止まっている、もう一台のセローのライダーも来た。で、5分もしないうちに今度はDTのライダー来た。本当にライダーというのは“端”が好きな人種だなぁ。

今日は、友達のキッコちゃんの家にお世話になるので双海に走る。 双海に着き、近くから電話をするが留守だ。この後5時間も待つことになる・・・。初めのうちは海を眺めていたのだが、それにも飽きてくる。しかも寒い。食べるものも何も持っていないので、よけいに寒さを感じる。 夜11時頃になりやっと電話がつながりホッとした。なんでも、学校の仕事が全く終わらなくてこんな時間になってしまったらしい。大変だなぁ先生って。

ガソリン;792
昼食;470


10/28---晴れ〜くもり〜小雨---245km

今日はキッコちゃんの提案で、夕方に道後温泉で待ち合わせ、もう一泊お世話のなることにした。
昼過ぎに起きて、日本最長の半島である佐田半島、その先端の佐田岬に行く。佐田半島のワインディングを登って行くと何人かのライダーとも、すれ違いピースサインを交わす。その中の一人に、昨日のGPZ900に乗る安藤くんがいた! しかし通り過ぎてしまったので、そのまま佐田岬へと向かう。佐田岬は九州までわずか16kmという近さで、実際にすぐ近くに九州が見える。それにしても細長い半島だなぁ・・・。と思いつつ道後温泉めざし走り出す。

道後温泉街に着き、早速「道後温泉本館」に行く。すると、さっきすれ違った安藤くんがいるではないか!「やぁ〜〜〜途中ですれ違ったね〜」とお互い気づいていたのだ。彼は出てきたところだったが、いい湯加減だったと言っているので早く入りたい。そうこうしている内にキッコちゃんが来たので、一人250円を払って温泉に入る。この温泉は3階立てになっていて、上に登るほど料金が高い。まぁこれは休憩料金だが・・・。でも見学はタダなので、3階まで登り、かの夏目漱石が「坊ちゃん」を執筆した部屋を見る。本当に使っていた部屋がそのまま残っている。他にも皇室用の特別室などもあり、ウロウロしてから湯に入った。湯はぬめりがあって、少々熱いめの湯だ。しかしまぁ、この温泉は古いんだよね。説明板によると・・・3000年前からあるそうで、聖徳太子や歴代の天皇も訪れている。山部赤人も万葉集に句を寄せている。もちろん日本最古だ。四国は他にこれといった温泉はないのだが、これは強力だ。

温泉からあがると、そのへんをブラついていた安藤くんがまた来ていて、しばらく3人で話をしてから、彼とは別れた。そのあとは、キッコちゃんと天麩羅屋(自分で揚げる)に行き、家に戻った時には12時をまわっていた。さすがに今日はすぐに寝てしまった。

ガソリン;771
昼食;800
道後温泉;500
その他;250


10/29---くもり〜暴風雨---452km

2日も世話になってしまったキッコちゃんと別れ、教えてもらったルートで松山市内をパスしてR11に入り、途中からR192〜R32で「大歩危・小歩危」「かずら橋」に行く。R32に入ると、まず小歩危峡だ。迫力のある岩肌のV字の部分に、グリーンの川が流れている。これを更に登って行くと大歩危なのだがR32が崖くずれの為に通行止めだ。大歩危峡を少しだけ見てUターンした。大歩危、小歩危の渓谷美を眺めながら来た道を戻り、小雨が降ってきたので少し早いが昼食にした。今日は四国で最後の食事なので、とっておきの、これぞ四国の味である釜あげうどんを食べた。でっかいオケに入って出てくるのには驚いた。(食べたことないから)

店をでて、いよいよ日本三大奇橋の「かずら橋」だ。R32が通れればもっと楽にいけるのだが、通行止めなので、ものすごく狭い祖谷渓谷沿いのルートで行かなければならない。苦労してようやくたどり着いた「かずら橋」は“これぞ奇橋”と言う感じの橋で来てよかった。この橋の由来はよくわからないらしいが、一説によると深い祖谷渓谷にはばまれ、目と鼻の先との村同士が交流のために大変苦労してかけたとか、面白いところでは、平家の落人(この辺一帯は平家の里)が源氏のの追っ手から逃れるために、この深い谷に“かずら”で橋をかけた・・・というのもある。いずれにしても珍しい橋だと思う。ここで僕は日本三大奇橋の全てを訪ねたことになるのだが、一つ面白い事に気づいた。3つのうちで最も観光地化されていないのが、大月市の“猿橋”なのだ。甲州街道沿いで東京からも近いので真っ先に観光地化が進みそうだが・・・。それに比べ、ここかずら橋は山深い地にも関わらず、みやげもの屋も多くあり、ここだけ異様な感じさえする。

そんなかずら橋をあとにし、来た道を下る。ものすごい強風で、左手下には30〜50mくらいの深さの祖谷渓谷だ。しかも、この狭い渓谷にダンプが次々に入ってきて恐いのなんのって! 祖谷渓谷では祖谷温泉に入った。ここはケーブルカーで渓谷下にある露天風呂が売りなのだが、1500円もするので内湯にした。温泉でサッパリしてからも、深〜い深〜い祖谷渓谷を下ってゆく。ようやくR32にでて琴平をめざす。雨も降ってきた・・・。琴平では琴平さんを参拝しようかなぁと思っていたが、雨で重くなったMXブーツで785段の石段を登る根性はなかった。情けないな・・・。普段いかに楽して暮らしてるかが身にしみる・・・。
こんぴらさんを飛ばしてしまったので、一路丸亀港に行き、ちょうど15時55分に着く。16時00のフェリーがあったのでパッと乗り込み出港だ。カンコーヒーを買い、船尾に座りバーナード・パーディの「パーディ・グッド」を聞きながら遠ざかっていく四国連峰を見つめていると「また来たい」というお決まりの気分になった。 フェリーでは少し眠り、17時00には下津井港に入港した。
さぁどうしよう。下津井で一泊するか、福山に行くか、大阪まで一気走りをするか。雨はいよいよ本降りだ。しかも、この雨は明日も残る。「ヨ〜シ。今日は大阪まで一気に行ってみよう」大阪のおばあちゃんの家に電話を一本しセローを満タンにして出発する。岡山市内のR2に出て、備前、赤穂を通るころには完全に暴風雨で、前方を走る車のテールランプだけを頼りに走る。辛いのは確かだが、寒さがさほどでも無かったのが助かる。姫路〜神戸辺りでは小雨になってきたが、姫路あたりでもまだ100kmはある。もう神戸からの30kmの長さといったら・・・30kmが、100kmにも200kmにも感じた。ようやく大阪に入り神崎川を渡ったときの達成感はもう最高だった。
おばあちゃんの家に着くと、いきなりステーキが出てきた。このときのうまさは今でも忘れられないほどだった。

今日は下津井から大阪までなにも“風景”を見ていない。でも満足感は十分だ。
なんと説明したらいいのかわからないが「自分はどこまでの事ができるのだろう?」「本当にできるのか?」ということに挑戦し、それを達成したときの喜びは大きかった。それに実は、下津井港にいた時の所持金はたったの500円。しかし楽しむ余裕はあった。このピンチな感じが楽しい。暴雨風じゃなかったら下津井で一泊したかもしれない。とてもじゃないがバイクで走るのは無茶かもしれない天候だったが、それだけにやってみたかった。“たいへんなこと”を楽しむ余裕を持てるようになった自分を発見することができたのは本当に大きな意味を持った一気走りだった。
旅というのは一文無しでも、手ぶらでも、やろうと思えばいくらでもできる。しかし、それはあまりにも無責任だし甘ったれだ。結局はハナっから人の世話になろうとしているからだ。確かに一文無しで旅をすれば人情に触れる機会は増えるだろう。しかし、それはあまりにも人をバカにした行為だ。僕はこんな恥ずかしい旅だけはしたくない。そんなカッコ悪い旅は耐えられない。 野草を食べ、徒歩でのみ旅をするというなら別だけど・・・。

丸亀〜下津井フェリー;1610
ガソリン;696+644
明石バイパス;200
加古川バイパス;200
釜あげうどん定食;700
飲み物;110