10/30---雨---0km

昼過ぎにボーーーーッと起きて洗濯をする。食事をすませ、久しぶりにおばあちゃんと話をする。と言うより、こんなに長い時間話をしたのは初めてだ。何も気にしてなさそうな、関心なさそうな人なのだが、実は色々と知っていて、本当にみんなの事を気にかけているのは本当に驚いた。しばらく何の連絡もしていなかったことを本当に申し訳なく思った。

しばらくおばあちゃんと話をして夕方4時頃に梅田に向かう。 今日はバンドメンバーのズーコちゃんが大阪にライブで来ているのだ。「おおゆれ大阪」といういかにも大阪な名前のハコだが、入口のドアを開けると薄暗いステージではズーコちゃんがリハーサル中だった。“アア〜〜ッ久しぶり!”と。約2カ月ぶりの再会だ。今日はDJの高宮君も東京から来ている。今日はプロデューサー/エスケン氏の“カメレオンナイト”というイベントらしい。楽屋の顔ぶれはDJ竹村とスピリチュアルヴァイブス、DJ高宮氏、DJピリピリ、エスカレーターズのズーコちゃん、吉本の若手芸人のへびいちごさんといった感じ。

ライブの方は夜8時過ぎには満員となり大盛況。僕も久々にいろんな人に会って面白かった。エスケンさんは相変わらずだし。楽屋でエスケンさんが初対面の人に紹介してくれたが、なんだか実感がない。なんせこっちは毎日バイクで走っているのだから、急に「CD聞きましたよ〜エエ感じですね〜カッコエエですわ〜」とか言われてもなぁ(笑)。このとき初めてメディアの力というのを実感した。こっちはエスカレーターズ名義で旅前に1曲レコーディングしただけだ。あとは毎日野宿暮らしなのに、多くの初対面の人が自分の事をすでに知っている。いつの間にか高いところに持ち上がっている感じだ。周りの認識としては、毎日のようにクラブに通い、ブラックミュージック漬けのミュージシャンという感じだ・・・。でも実際はどうかなぁ。そうでもないんだよなぁ。だいたいそんなヒマあったら、自分の好きな音楽聞いてるし、練習だってしなくちゃいけない。結構みんな自分ちでチマチマやってるんじゃないかなぁ(笑)。実際僕もそうだし。自分の部屋で友達とジーッと音楽聞いたり、面白いもの作ったり、話したりって感じだ。だからちょっと戸惑った部分もあるが、まぁ自分は自分だからなぁってことでパ〜ッと楽しむ。
この日は、飛び入りでケニアから来ていた“アイボリーバンド”というバンドが来ていた。彼らは、アフリカ音楽の第一人者である石川晶氏の息子さんが連れてきていて、ア・カペラで一曲、DJバックで一曲やってくれた。楽屋で話したのだが、もうサイコーに面白い連中で、名前聞いてたら、その中の一人で、マーヴィン・スミッテイ・スミス(アメリカの黒人ドラマー)似のヤツが「はじめました。はい。岡本信夫です。」だってよ。バッカヤロ〜(笑)テメー真っ黒な顔して何いってやがんだ〜(笑)と鏡を顔をつけてやった。

まぁいろいろと、あって久々に面白かった。ここには12/22にエスカレーターズでの出演が決まっているので楽しみだ。また“岡本信夫”に会えるかな。(笑)

阪急電車(梅田←→三国);320
ワイン;400
衣類;1030
食べ物;300
その他;250


10/31---晴れ時々雨---66km

今日は大阪に荷物を置き、日本三大古湯のひとつである「有馬温泉」に立ち寄る。R176を宝塚方面に走り、途中でオイル交換をする。ついでにチェーンオイルをさしてもらうが、お会計はオイル代だけだ。工賃は無料。さすが商人の街だ。
R176をさらに進むと宝塚を通る。あの「宝塚劇場」の前を通り「ここで例のアレをやっているのだな・・・。」と思った。それにしてもゴージャスな駅だなぁ。暖かい空気の中を有馬方面に走る。途中の“知るべ岩”というバス停からの眺めは、まるで中国の山水画のようだ。 さらに山を登ると・・・クソ〜ッ雨かよ〜。仕方なくカッパを着て、しばらく走ると・・パンパンパンビェーンビェンという2ストロークバイクの音が・・・。オオ〜ここにはコースがあるのかぁ。へ〜っと眺めながら通り過ぎ、有馬温泉に到着だ。案内所で本湯を教わり、420円を払って入る。日曜と言うこともあり、すごい混雑だ。湯は赤茶色で鉄分が豊富に含まれている。赤茶色というのは金泉というヤツで、白濁した湯と並んで温泉らしくて良い。この温泉は日本書紀にも載っているほどの古湯で、ここにも“日本最古”と書いてある。どうも日本最古というのはハッキリしないようだ。愛媛の道後温泉が夏目漱石なら、こちらはさすが関西と言うことで、太閤さんこと豊臣秀吉がこよなく愛した湯である。今の有馬温泉があるのも秀吉によるところが大きい。そんな有馬温泉の饅頭を食べ、雨の中を帰路につく。 帰り道の途中でタコヤキを買う。10個入りで200円という安さには驚いた。やっぱり大阪は物価が安い!

オイル交換;1540
有馬温泉;420
温泉まんじゅう;150
たこやき;200
ガソリン;680


11/01---晴れ---0km

今日は昼頃に出発しようと思っていたが、名古屋で訪ねるつもりの木村さんが5日頃がいいんだけど・・・ということで、もう一日大阪に世話になる。こうなると出発がおっくうになってくる。4連泊もしてしまうと、もう野宿が辛い。(笑)でも今日は、普段あまりゆっくりと会話できない親戚とも話ができたのでよかったと思う。叔父さんは、山に行って足を捻挫したらしい。かつては、僕と幼なじみを連れて富士山を登頂したほどの山男だったのに情けないな(笑)。

今日はヤクルトが日本一決定! たまにはこういう日もなくちゃね。


11/02---くもり---251km

今日は長らくお世話になった大阪を出発する。
R176で大阪の中心部を抜け、奈良へ向かう。奈良に来るのは何年ぶりだろうか・・・。相変わらずウジャウジャといる鹿をかきわけ大仏殿に入る。久しぶりに見る大仏さんは、やはり巨大だった・・・。東大寺は何も変わっていなかったが、自分の気持ちとか見る目が変わったのか、素晴らしいなぁと感じた。ツーリングをしていると、とかく「ここは前に来たからいいや」という事が多くなりがちだが、以前と今の違い(モノそのものと自分自身)を楽しむのは、新しい発見があるものだと気づいた。 意外なインパクトを受けた大仏殿をあとにし、奈良公園を歩いたが、ここが修学旅行のメッカであることも10年前と変わらないのだった。

さて、一路白浜へとセローを走らせる。本当は高野山を通るつもりだったが、もう雪のシーズンと聞き、おじけづき海沿いを走る。情けないな・・・。しかし久しぶりの海を見ながらの走行は楽しかった。風も寒さは感じないくらいでちょうど良い。それにしても、海南を過ぎた辺りからのミカン畑はすごいなぁ・・・。さすがに日本一のミカン産地だ。いよいよ南紀に入ると、フェニックスだ! なつかしい・・・。宮崎の日南や佐多岬、沖縄、石垣で何度となく見た風景だ。ヒルギとフェニックスは本当に南国らしくて大好きだ。やはり南紀は南国なんだなぁ。と思いながら白浜温泉郷に入る。ここでは、白良浜の公衆浴場に入る。ついに日本三大古の全てに入る。白浜温泉は道後、有馬とは違い控え目だ。日本一の古湯こそ、ここです! とは言わず、道後・有馬・白浜が日本最古の湯です。という表現だ。まぁ、でも見る資料によって違ったりして・・・。今日は、ここ白良浜で野宿だが、弓なりの海岸沿いに並ぶホテル群の灯を見ながらの夕食(チャンポン)は最高だった。全てのホテルが自分のために明かりの演出をしてくれているようだった。
今、白浜で一番の特等席にいるのは間違いなく自分だと思う。

●おお!蚊がいる蚊が!
●白浜温泉はなぜか、道後温泉とそっくりだ。

東大寺;400
ガソリン;747
夕食;454
昼食;980
白浜温泉;200
パンフ;350
その他;250


11/03---晴れ---324km

今朝、目が覚めてテントをたたむ時にあらためて南紀白浜の温暖さに気づいた。と言うのも、11月だというのに全く露が降りていないからだ。やはり暖流である黒潮のおかげだろう。快適な白良浜を出発し、白浜温泉の最古湯である「崎之湯」に立ち寄る。しかし今日に限って午後からだ! クッソ〜! 普段は朝8時からだと言うのに、よりによって・・・。仕方なく、そこでパンを食べ千畳敷〜三段壁と見てまわる。それにしても人が多いと思ったら、今日は休日か・・・。曜日の事などとっくに忘れていたので、何事かと思った。まぁここは、これだけの観光資源があるのだから当然と言えば当然だろう。

R42に入り潮岬に着く。「やっとここまで・・・」という気持ちでいっぱいだった。日本の四隅を押さえる旅も、ここに立つことで日本と本州の四隅制覇の達成だ。何とも言えない充実感と、終わってしまったという脱力感が混ざり合っていた。
しかし、まだ全都道府県制覇という大目標がある。と言い聞かせ、日本三名瀑の最後である「那智の滝」をめざす。R42から10kmほど内陸に入ると、落差133mという直下型の滝としては、日本一落差の滝が見えてくる。セローを止めて石段を下ると、そこには素晴らしい光景が広がる。観瀑料を払い、滝壷近くに行き、参拝する。那智は山全体が神域になっていて、この滝も、それ自体で神仏と同じ扱いだ。つまり滝全体が神域という事だ。いつか必ず見てみたいと思っていた滝だけに、しばらく見とれてしまう。そんな神域、那智山をあとにし、R42に戻る。少し走ると、日本一面積の小さい村「鵜殿村」を通る。ここでは、一番“少額”で買えるノリ弁を買い、漁港で船を眺めながら食べた

再びR42で熊野灘を眺めながら伊勢へと向かう。熊野市に入ったところで、R42は山間部へと入ってゆく。R42沿いを流れる川(川名がよくわからない)の美しさは四万十川をしのぐほどだ。それに、この山深い中を一気に突き抜ける道の気持ちよさは、さすがに熊野だ。そういえば、あの博物学の天才“南方熊楠”の研究の舞台も、この熊野の山中だ。

また海沿いに戻って走るが、もう眠くて眠くて仕方がない。フラフラしてしまうほどだ。あまりに眠いので、紀伊長島の「鹿之湯」に入り休む事にする。ゆっくり湯につかり、缶コーヒーを一本飲むと、さっきまでの眠気はウソのように消えていた。温泉の効果は何にでも効く! 思いこみ次第か? ここからR42を離れ、R260を走る。この道は峠をいくつも越える険しいルートだ。なぜこのルートを選んだのかというと、この道は伊勢志摩町へ海を渡って続く道だからだ。道が本当に海のところで途切れているのだ。それに日本の道100選の一つでもある。
しかしいつまで走っても、細長い山道で、果てしなく続くようにさえ思えた。最初は楽しかったが、暗くなるにつれ「まだかなぁ〜」と飽きてきた。山道は、すっかり真っ暗になってしまい、途中のガソリンスタンドでR260の海越えについて聞いてみた。すると「今は、フェリーが廃止になっているので、志摩町へはだいぶ大まわりしないとダメですよ」と・・・。ショックだ!今までの苦労が水の泡と化した・・・。本当に山道が長かったので、ハァ〜〜〜〜〜・・・・となってしまう。まぁ仕方ないので、伊勢神宮方面にいこう。と思い走ったが、途中で買い物をしたスーパーで道を聞いたら「今日はこの辺で泊まったほうがいいよ」と言われたので素直にそうすることにした。それはそれは長い一日だった・・・・。

ガソリン;705+884
夕食;430
のり弁;320
硯;おみやげだから内緒
ヨウカン;1000
那智滝;200+100
鹿の湯;500
飲み物;110


11/04---快晴---278km

思ったより寒い朝だったので6時に目が覚めた。まぁ国道沿いなので早めに出発したほうがいいだろう・・・ということで手早くテントをたたみ、すぐ近くの礒笛岬に行く。この岬は熊野灘と英虞湾を隔てている黒潮の海を見おろす岬だ。礒笛というのは海女が海面に上がり、大きく息をつく音の事だ。 R260に戻り、一路「伊勢神宮」へと向かう。早朝の風は冷たく、紀州も終わりのほうだと感じる。伊勢神宮の内宮に行き、本宮へと歩く。杉の木々の間 からこぼれる木漏れ日が、たまらなくさわやかだ。途中、五十鈴川のほとりでパンを食べ、本宮に着くと、真新しい神殿が見えた。伊勢神宮は20年に一度の改装を10月2日に終えたばかりで、なんともラッキーだった。この内宮は2000年の歴史があると聞き驚いた。それにしても、日本には寺や神社が多いなぁとつくづく感じるのと同時に、なんと統一性のない事か! とも思ってしまう。

神話の里「伊勢神宮」をあとにし、牛肉で有名な松坂〜津を過ぎ、R1に出る。R1で鈴鹿峠を越えると、ガードレールの所に“東京より435km”と出ている。「そうか・・・この道は、バイク便でさんざん走った内堀通りに続いているのか・・・」そう思うと、あんなに飽き飽きした内堀通りの渋滞がなつかしく感じた。R1からR307のバイパスを通り、彦根に入り、日本一の大きさを誇る「琵琶湖」に立ち寄る。本当に大きな湖で、まるで海を見ているようだ。琵琶湖でしばらくブラついいて、いよいよ天下分け目で有名な関ヶ原だ。しかし今日は暖かい。関ヶ原は寒さのピークだと思っていたので拍子抜けだ。寒さは全く感じない。一宮市に着く頃は暑いくらいだ。 名古屋に到着すると、木村さんに電話する。木村さんとは北海道の開陽台で知り合い、その後函館でも再会し大間崎で一泊した。久しぶりの再会だ。 しばらくすると「やぁ〜久しぶりですね〜」と木村さんが現れる。荷物を家に置かせてもらい、夕食に出かける。ここで、初めてミソカツなるものを食べたのだが、こりゃあウマい!

ガソリン;785
昼食;850
有料道路;150
その他;250


11/05---快晴---243km

木村さん宅で朝食をごちそうになり、出発する。名古屋駅前を通り、浜松へと向かう。この辺りの国道はトラックが多く、まさに現代の東海道そのものという感じだ。ちょうど昼頃に浜松到着だったので、昼食は“うな丼”に決定だ。これは大正解のうまさで、さすが本場だ。高かったが十分に満足だ。国道をそれ、遠州灘と駿河湾を隔てる静岡県の最南端「御前崎」に立ち寄る。御前崎ではバイク好きの息子を持つおばさんと話した。「バイク好きの子を持つ親は大変だよ!」といっていたのが忘れられない。
そんな御前崎をあとにし、日本三大松原の最後の一つである「三保の松原」に立った。ちょうど夕暮れし始める頃で、海沿いの松原から見る富士山の美しさといったら・・・。息をのむほどだ・・・。うっすらと紅に染まる富士が弓なりの海岸線の向こうに見え、左手には三保の松原が広がっている・・・。まさに絶景中の絶景だ。是非とも朝も見たい! と思い、日本一周最後の野宿地をここ「三保の松原」にした。まさにラストにふさわしいではないか!

陽がすっかり落ちて、真っ暗になってからテントを設営する。それと同時に船が沖に出始める。夕方6時頃には、船の漁り火がまるで、対岸に陸地があって、交通渋滞しているのだはないかと思うほどキラキラと光っている。 浜辺に寝ころんで、アントニオ・カルロス・ジョビンを聞きながら、キラキラと輝く星と漁り火を眺めた・・・。これ以上リッチな遊びなんてあるのだろうか・・・。ないな・・・。これは最高にリッチな遊びだ。

ガソリン;765
うな丼;1200
夕食;564


11/06---快晴---339km

三保の松原で野宿生活最後の朝日を眺め、走り出す。R1の見覚えのある道を走り続け、R136で修善寺へ行き、なつかしの「独鈷の湯」に入った。相変わらず熱い湯だ。今日は土曜日なので人が多く、入りにくい。この温泉は、お土産屋の真ん前にあって、しかも露天だ。雰囲気的にも入っちゃいけないのかな〜という感じなので、人が入っているのに観光客が見物にきて、写真とか撮ってしまう。入ればいいのに。
見せ物気分で湯につかり、身体を温めたところで再びR136を走り、堂ヶ島を通り、伊豆半島最南端の石廊崎に立ち寄る。片道1kmほどの遊歩道を歩き、岬に立つ。東京に近い伊豆は本当に人が多く、あらためて伊豆というのは観光地としては最高のロケーションなのだな・・・と感じた。駐車場に戻り、昼食にしたのだが、カツ丼に付いていた味噌汁がすごかった。大きめな沢蟹? がまるごと入っている。 そこで会った中年ライダーさんと話をしているときに「僕は日本一周中ですね〜」と言うと「上には上がいるもんだなぁ」と・・・。「そんな・・・上も下もないですよ」と答えたが、本当にそう思う。距離が長ければ、期間が長ければ・・・旅というのは、そういうものではない。極めて個人的なことだし、人それぞれだ。問題なのは感じ方の問題で10年も20年も旅したって、なににも感動しなくて、なにも考えることもなく、自分の内面と対話することもなければ、それは“居場所が変わっただけ”である。全く無意味で、旅に埋没しているだけだと思う。

石廊崎をあとにし、走り出すが、本当にライダーが多い。ツーリングクラブらしき集団を何度も見かけた。伊豆では、もう一湯と思ったが、タイミングがことごとく悪く入れない。どうも今日は温泉運が悪そうだ・・・と思い、一路逗子に向かう。それにしても伊豆は温泉の宝庫だ。一つの街ごとに4〜5つの温泉がある。今度は温泉と林道をメインにした伊豆ツーリングもいいなぁと思った。そんな伊豆半島一周を終え、西湘バイパスを通り、湘南に着く頃には「帰ってきたんだなぁ」と強烈に思った。「もう江ノ島か・・・」と・・・。逗子に着き、友達のノリ君の家に行く。本当に久しぶりの再会だ。再会したときは、長かったような短かったような妙な気分だった。ノリ君とは久しぶりに音楽の話や、旅の話などを夜遅くまでした。

ガソリン;945
西湘バイパス;100
石廊崎駐車場;100
カツ丼;1000
朝食;200


11/07---晴れ〜くもり---135km

今日はいよいよ70日間に及んだ日本一周も終わってしまう。

複雑な思いで出発し、葉山〜三浦半島と通り、最後の岬である観音崎の岬から見る浦賀水道の眺めは何と言ったらいいか・・・。もう帰るのか・・・。帰れるのか・・・。と繰り返し考えていた。三浦半島一周を終え、磯子〜根岸と通り、横浜駅前を抜けてR15に入る。R15で東京都大田区に入った時は思わず「ヤッタゼ〜〜〜」と叫んだ。これで、47都道府県も無事達成だ。R15で品川に着いた頃には東京都を強く感じ、南麻布〜六本木〜青山〜代々木と都内中心部を走ってみた。まだ自分がここに事が実感できなかった。しかし、渋滞の複雑な道をスイスイ走れるのだから、やはり東京だ。何度走った事だろう・・・。都内をグルグル走り、代々木から井の頭通りを使い、バンドのメンバー川西〜ズーコちゃん宅を訪ねる。「ワ〜〜ッ久しぶり!」ズーコちゃんは大阪で会ったが、川西君は70日ぶりだ。早く音出したいなぁ。などと話し、また来るよ。と出る。さて・・・もう一ヶ所行かなければ・・・。杉ちゃん宅に立ち寄る。一緒にリズムセクションを組んで5〜6年になる。ここでも「オオ〜〜〜久しぶり!」ここにはギタリストの太一もいて、3人でレコードを次から次へと聞きまくった。こうしているのも久しぶりだな・・・。70日前は毎日こんなことしてたんだな・・・と思った。夜も9時になり、いよいよ自宅に到着だ! 

帰った〜〜〜! 最後の目標は「絶対に無事に日本一周して帰る!」をようやく達成する事ができた。

ガソリン;872
朝食;449
タンメン;800


エピローグ

1993年8月29日(日)から1993年11月7日(日)までの70日間をかけて駆けめぐった日本一周ツーリングは自分の生まれ育った日本という国の広さを痛感した旅だった。

世界地図で見れば、本当にちっぽけな島国だが、北の果てと南の果てでは「これが同じ国なのか!」と思うほどに変化に富んだ国だった。そして島群で成り立っている国なんだ! とも感じた。今回のツーリングでは、日本の四隅全てに行ったが、あらためて地図を見ると、まだまだ行っていないところが数多く残っている。70日間もバイクを走らせたが、日本をくまなく見る事はできなかった。当然といえば当然だが。
日本の海岸線の総距離は世界でもフィリピンについで長い。大抵の日本一周ラインでは1万〜2万kmくらいだろうと思うが、この距離はアメリカ大陸横断の8000kmよりもはるかに長く、海路も無数にあるので、非常に変化に富んだ気候、風土を体験できる。文化や習慣・風習の多様さで言ったら、それこそ非常に深みのある旅となるだろう。この国は本当に狭くて広い・・・そして奥深い。

1993年8月29日(日)に東京都調布市仙川の自宅をスタートし、まずは関東の内陸県を走った。埼玉〜山梨〜長野〜群馬〜栃木ルートは全て海を持たない県で、山岳地域を縫うように走ったが、寒かった事を良く覚えている。まだ8月だというのに日光/湯の湖付近や山梨の清里、長野の麦草峠などは指先が冷え切った。関東の内陸5県を走破し、野田市の実家に寄り、装備を見直すと、いよいよ長旅という感じになる。

まず房総半島を一周し、東北の太平洋側をほぼ海沿いに北上した。陸前〜陸中〜陸奥という三陸の入り組んだ海岸線には、ただただ圧倒され、その長さにも驚いた。三陸を過ぎ、下北半島に入る頃には、だいぶこの旅にも慣れてきた。
そしていよいよ北海道だ。北海道は9/9〜9/18までの9日間で走った。東北と比べると何もかもが日本的ではなく、そのスケールには圧倒された。とにかく広い。東北の小さな畑などを見てきた目には、とてつもなく広大な大地に見え、津軽海峡渡っただけで、こんなにも違うものか! と思わされた。それと人だ。北海道はまさにライダー天国で、ツーリングするのに重要な要素がたっぷりとある。  1.宿泊先に困らない  2.食べ物が安くてうまい  3.地図が不要なほど道がわかりやすく信号やカーブがない
これが再び東北に入ると極めて日本的な風景に新鮮な感動を覚える。東北から北陸にかけての日本海側は、長い歴史と文化、そして太平洋側とは全く違う東北独自の生活風習が残っている。東北らしさとでも言ったらいいだろうか・・・。
それも新潟を過ぎる頃には薄れ、今度は北陸の空気が濃くなってくる。まず言葉が富山、福井あたりを境に関西系になってくる。この辺が面白いところで、福井はそれほどでもないが、京都(日本海沿いでも)は関西弁だ。しかし、内陸の高山などは関西弁ではない。よく日本を旅している外国人に聞かされた話だが「日本は峠ひとつ越えると、まるで別世界になる」これは多分に大げさだったり、なにかの本で読んだのかもしれないが、そう感じる地域は確かにある。例えば、民家の屋根の色や形や方言などは通過しただけでもわかる。
そして山陰だ。神話の世界では、この辺は日本の中心地だ。それが今では一番地味だ。これは四国や紀伊半島にも言える事だが、いわゆる“神域”と言われる地域は、なぜか大都市化しにくいように思った。四国などは瀬戸大橋などで活性化させようと必死だが、やはり東京や札幌、名古屋、福岡、大阪のような規模の都市は当分できそうもない。山陰などは、その代表のようなものだ。でも「そんなところがあってもいいじゃないか。」とも思ったのが山陰だ。
そして九州。九州はまだまだ活動を続ける火山の島だった。特に鹿児島の桜島や島原の雲仙などは、いつ再びドカーーーンとなっても不思議はない。そんなところにも人が住み、すぐ近くには大都市があるのだから驚きだ。同じ日本人でありながら「なぜわざわざこんな恐いところに住むんだろう」と思ったほどだから、外国人が見たら理解に苦しむだろう。火山の火口に住むなんて・・・。それと九州で驚いたのが、その海岸線だ! 長崎や天草あたりの島群やリアス式の海岸線は、まさに三陸をもしのぐほどの凄さで、一日中走っても地図上では全く先へ進めない。九州で温暖さを感じたのは南端の鹿児島や宮崎あたりからだ。東北では1〜2週間前でも寒かったのに、大隅半島などは暑いくらいだ。しかしその暑さもまだまだ甘かったことを沖縄で思い知らされることになる。
沖縄に渡ったのは10/6で、石垣などを含む八重山諸島は10/15くらいまでいた。まだまだ真夏で、気温は連日30度近いし、食堂などでもクーラーがガンガンに効いている。波照間島では海水浴をしたほどだ。「ここは本当に日本か?」と聞かれたら、NO! と言いたくなるほど、食文化、建造物のつくり、人々の顔立ち、海の色・・・・etc 全てが独特だった。それだけに受けたインパクトは強烈で、今回のツーリングの中でも特に強く印象に残った。それにここでは多くの同士に出会ったので、それも手伝い、心に強烈なインパクトを残したのだった。そして沖縄と八重山がまた別の、全く別の地域であることも初めて知った。沖縄の食べ物を石垣で食べようと思っても難しい。メニューにないからだ。どこに行っても同じことだった。もちろん逆のことが沖縄でも言える。行く前は、鹿児島より先は同じ文化圏だと思っていたが、大間違いだった。それもそのはずで、地図で見ると東京←→大阪間以上の距離があるのだ! しかも、その間にある陸地と言ったら宮古島だけだ。
そんな真夏の南西諸島から九州を経て、再び本州〜四国〜本州と走ったが、四国はさきほどの通りで、本当に多くの自然が残っていた。四国や山陽は一気に走ればたいして日数はかからないが、あそこもここもと周り出すととてつもなく時間がかかる。つまり大きな国道(R2など)で走ればアッという間だが、山間部や海岸線ギリギリを周り出すとたっぷりと時間が必要になる。そして食に関しては、四国では毎日うどんを食べた。それほどうまい!  そして山陽から大阪を抜け、紀伊半島だ。もうこの辺は、暑さ寒さが交互に来ていて季節がわからなくなった。山陽や大阪は割と寒かったが、南紀に行くともう11月だというのに蚊がいるほど温暖だった。それも東海に入るとグッと寒く、伊豆まで行くとまた暖かい。そして家に着く頃は肌寒いという感じだった。

このように日本を走り回り、日本の四隅、本州の四隅、日本三名瀑、日本三古湯、47都道府県全走破・・・数々の名所・名勝を訪ねたが、まだまだ素晴らしいところはたくさんあるだろう。それに違う季節に行けば、また違うものだ。そう考えると夢は無限に広がる。日本・・・世界・・・とキリがない。 とにかく日本一周は面白いものだった。正直いって貧乏旅行だったが、旅を楽しくするのはお金ではない! と断言できるほど貧乏ツーリングは面白かった。色々工夫をし、持てる荷物を最小限にして旅をすると、生きて行く自信につながる。その少ない“モノ”はどれもが本当に必要なもので、日々の中で選ばれ、おのずと残ってゆく。旅を無事に成功させられたのも、こういったモノのおかげでもある。
14924kmをノートラブルで走破してくれた「ヤマハセロー225」
2〜3度と落としたにも関わらず、壊れずに旅を記録してきた「京セラ・サムライ」その他、テント、シュラフ、レインウェア、ヘルメット、食器類に至るまで、全てに感謝である。 それと、関わった全ての人々にも最大限の感謝である。 この旅で学んだ事は

「いつまでも、おんなじトコにいちゃダメだね。」コレかな・・・。

総走行距離;14,942km
全日程;1993年8月29日(日)〜1993年11月7日(日)70日間
総費用;280,573円
バイク;ヤマハセロー225


おつかれさん。